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ダニエーレ・マニン(Daniele Manin, 1804年5月13日 - 1857年9月22日)は、弁護士で、ヴェネツィアの政治家、イタリアの愛国者。1848年革命により独立を宣言したヴェネツィア臨時政府の大統領。 ヴェネツィア共和国最後のドージェであるルドヴィーコ・マニンと同じ姓だが、血の繋がりはない。父方はユダヤ系で、本来の苗字はフォンセカ(Fonseca)だったが、1759年にキリスト教に改宗した際の名づけ親(この人物はルドヴィーコ・マニンの親戚であった)の姓からマニン姓とした。 1848年革命の影響下、3月にロンバルド=ヴェネト王国(オーストリア)に対する蜂起を行い、ヴェネツィア臨時政府(ヴェネト共和国、サン・マルコ共和国)の大統領に就任。市を包囲されていた間彼は、その知性、勇気、力を見せた。翌1849年8月に降伏。 その後、パリに住みイタリア語を教えながら、愛国心を持ちつづけた。1857年8月1日、国民協会(Società nazionale)の設立を行ったが、イタリア統一を見ずに同年死去した。 彼の息子ジョルジョ(Giorgio, 1831年-1884年)も愛国者となり、ガリバルディの千人隊の一人となった。 == 伝記 == * A. Errera, ''Vita di D. Manin'' (ヴェネツィア, 1872年) * P. de la Farge, ''Documents, &c., de D. Manin'' (パリ, 1860年) * Henri Martin, ''D. Manin'' (パリ, 1859年) * V. Marchesi, ''Settant' anni della storia di Venezia'' (トリノ) * Contessa Martinengo Cesaresco ''Italian Characters'' (ロンドン, 1901年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダニエーレ・マニン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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