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ダフィールド城 : ミニ英和和英辞書
ダフィールド城[だふぃーるどじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

ダフィールド城 : ウィキペディア日本語版
ダフィールド城[だふぃーるどじょう]

ダフィールド城()は、ダービーシャーのにあったノルマン風の城。その城址はとされている。
ここは岬状に川へ面した険しい岩場で、防御に適した立地となっている。ここに先史時代から人が住んでいたのか、さらには古代ローマ人が近くの渡し場を守るため駐屯していたのかについては、議論がある。リツダラム・から来た道案内の護衛隊は、(現在ダービーの一部である)の(北海へ向かう N 字形の道)に入る際、その渡し場を経由していた。
しかし、ここではアングロ・サクソン人のものと見られる遺物が発見されている。これらは何らかの地位にあった人々がここを領していたことを示唆している。おそらくはシワードという名のサクソン人の(スコットランドの豪族)か、その一族であろう。古代ローマおよび時代の陶器も多く見つかっており、それらにはローマ様式の瓦も含まれる。発見された遺物のいくつかはダービー博物館が保管しているが、残りは地元の教会に置かれ、多くが散逸してしまった。
== ノルマン式の城 ==
ウィリアム1世への忠勤に大いに励み、現在のにあたるダービーシャーの領地を1066年ごろ授けられた。これは後、北はと、南はまで広がった。彼はを建て、主な居城とした。また領地の北側を守るため前哨基地が必要となり、ダフィールドにも城を(おそらくは木造で)建てた。
彼の三男ロバートは、1138年にスコットランドとので手柄を立て、ダービー伯爵に叙位された。
彼の曾孫ウィリアムは1162年に爵位を継いだ。彼はヘンリー2世の息子たちの反乱に加担し、1173年に城は2つとも破壊された。
後を継いだウィリアム2世をジョンは寵愛し、、の領地と共に伯爵領を復させた。のち、ホースレイにあるもこれに加えた。いずれかの時点で、タットベリーとダフィールドの城が(今回は石で)再建された〔Manby, T.G., ''Duffield Castle Excavations 1957.,'' DAJ, vol. 79, 1959〕。次のウィリアム3世も王室と良好な関係を保った。
次代の7代目にあたるロバートはヘンリー3世に反逆し、タットベリー城は破壊された。ロバートは寛恕を受けたものの、再び反乱を起こしてチェスターフィールドの戦いに敗れ、1269年に領地を没収され、ダフィールド城も破壊された。王子のが領地を受け継ぎ、ほどなく家を創始した。
城は文字通り、完膚なきまでに破壊された。石の多くは建材として他所へ持ち去られ、跡は次第に草生す地へ変わっていった。城があった名残は「キャッスル・オーチャード」(城の果樹園)という地名が留めている。これは現在、城の土塁の下にある同名の住宅地からヘイゼルウッド通りにかけての一帯で、1885年に再発見された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダフィールド城」の詳細全文を読む




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