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ダフネ・アクハースト : ミニ英和和英辞書
ダフネ・アクハースト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ダフネ・アクハースト : ウィキペディア日本語版
ダフネ・アクハースト[ちょうおん]

ダフネ・アクハーストDaphne Akhurst, 1903年4月22日 - 1933年1月9日)は、オーストラリアシドニー市アシュフィールド出身の女子テニス選手である。全豪選手権(現在の全豪オープン)で女子部門の黎明期に活躍した選手で、女子シングルスで5度、女子ダブルスで5度、混合ダブルスで4度優勝し、総計「14勝」を挙げたが、子宮外妊娠のため29歳の若さで死去した。フルネームは ''Daphne Jessie Akhurst'' (ダフネ・ジェシー・アクハースト)という。最初はピアニストとして才能を現し、音楽学校を卒業した。音楽教師になった彼女は、テニスは全くの独学であったというが、そのテニスでオーストラリアの歴史の黎明期を築いた。
== 来歴 ==
現在は「全豪オープン」として知られるテニス大会は、1905年に第1回大会が始まったが、最初期の全豪選手権は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみであった。女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門は、それから17年後の1922年に第1回の競技が行われた。ダフネ・アクハーストは1924年、第3回大会で女子ダブルスと混合ダブルスの2部門を初制覇した。女子ダブルスではシルビア・ランスと、混合ダブルスではジム・ウィラードとペアを組んで優勝する。1925年の第4回大会で、アクハーストは女子シングルスでも初優勝を飾り、女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門制覇(ハットトリック)を達成した。初めての女子シングルス決勝では、第1回大会から4年連続で決勝に進出していたエスナ・ボイドを 1-6, 8-6, 6-4 の逆転で破っている。1926年の第5回大会では、アクハーストは女子シングルス決勝でボイドに連勝して2連覇を果たすが、女子ダブルスと混合ダブルスではタイトルを落とした。(ボイドは第1回大会の1922年から1926年まで、女子シングルスで5年連続準優勝に終わり、ようやく1927年に初優勝を遂げた。)1928年1929年に、アクハーストは2年連続でハットトリックを成し遂げたが(総計3度)、1928年度の混合ダブルスではフランス四銃士」の1人として知られるジャン・ボロトラと異色のペアを組んだこともある。
ダフネ・アクハーストの全豪選手権以外の4大大会成績は、全豪で2度目のハットトリックを達成した1928年全仏選手権でベスト8に入り(大会第4シード、準々決勝でクリストベル・ハーディー(イギリス)に敗退)、ウィンブルドン選手権でベスト4進出(準決勝でリリ・デ・アルバレススペイン)に敗退)があった。同年のウィンブルドン選手権混合ダブルスで、アクハーストはジャン・ボロトラとペアを組んで決勝に進出したが、パトリック・スペンス(南アフリカ)&エリザベス・ライアンアメリカ)組に 5-7, 4-6 で敗れて準優勝に終わっている。
1930年2月26日、ダフネ・ジェシー・アクハーストは煙草製造業者のロイストン・スタッキー・カズンズ(Royston Stuckey Cozens)と結婚した。1931年全豪選手権女子ダブルスで「ダフネ・カズンズ夫人」はルイーズ・ビカートンとのペアで2年ぶり4度目の優勝を飾り、これを最後に競技テニスから引退する。夫妻には1人の息子が生まれたが、第2子の妊娠が子宮外妊娠となり、彼女は1933年1月9日にわずか29歳の若さで急死した。全豪選手権の女子競技の黎明期を彩った名選手は、こうして短い生涯を閉じた。その早すぎる死を悼み、全豪オープンの女子シングルス優勝カップには彼女の名前を冠した「ダフネ・アクハースト・メモリアル・カップ」の名前が与えられた。
ダフネ・アクハーストは2013年に国際テニス殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダフネ・アクハースト」の詳細全文を読む




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