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ダライニフマ・ツァンヤンギャムツォ : ミニ英和和英辞書
ダライニフマ・ツァンヤンギャムツォ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ダライニフマ・ツァンヤンギャムツォ ( リダイレクト:ダライ・ラマ6世 ) : ウィキペディア日本語版
ダライ・ラマ6世[だらいらま6せい]

ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォ(, 1683年3月1日 -1706年11月15日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な化身系譜であるダライ・ラマの6代目として認定された人物である。ツァンヤンギャムツォ、ツァンヤン・ギャムツォ、ツァンヤン・ギャンツォとも表記される。ダライ・ラマ5世の死後、摂政のにより、チベット南部モン地方のタワンで探し出された。1697年、数え15歳で沙弥戒を受けてダライ・ラマ6世に即位するが、僧の生活になじめず、1702年に沙弥戒を返上、以後は恋愛と即興歌作りをして暮らした。このようなダライ・ラマの素行を口実に、ホシュート部の長ラサン・ハーンによって1706年に廃位させられ、同年、の北京への護送途中の青海の地で没した(場所はクンガノール湖畔と伝えられる)。病死とも暗殺されたとも言われる。ダライ・ラマとしては型破りの人物であったが、その人柄と歌がチベットの多くの民に愛された。
==背景==
ダライ・ラマ6世はダライ・ラマ5世の転生者とされる化身ラマである。ダライ・ラマ5世は一代でチベットを再統一した事実上の覇者であり、強大な軍事力を持つモンゴルの信仰対象者でもあり、モンゴルの王号であるハーンの称号を追認する権威も持っていたため、その地位はたいへん重要なものとなっていた。とりわけ清にとってはモンゴルとチベットを一応は保護国化した形になった直後であったので(ただしチベット側は必ずしも清に支配されたと思っていなかったが)、政治上の理由からもダライ・ラマは重要であった。
ダライ・ラマ5世の側近たちは、1682年のダライ・ラマ5世の死後から新しい転生者を探し始めた。しかし、ダライ・ラマ5世の影響力があまりに大きかったので、ダライ・ラマ5世の「しばらくは自分の死を隠匿し、決めかねることは5世の守護尊マクソルマ神の前でタクディル占いで決めるように」という遺言に従い、側近たちは対外的にはダライ・ラマ5世の死を隠した。側近の筆頭は摂政のサンギェ・ギャツォであり、彼は替え玉を用いたりダライ・ラマ5世が籠もって瞑想中であるということにした。1690年にはダライ・ラマ5世の死の噂が広がり、清の康熙帝が調査団を派遣したが、この時にはごまかすのに成功した〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 6th Dalai Lama 」があります。




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