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ダライ・ラマ12世ティンレー・ギャツォ(、1857年1月26日 - 1875年4月25日)は、チベット仏教ゲルク派の有力な転生系譜で観音菩薩の化身とされる勝者王(ダライ・ラマ)の12代目〔ダライ・ラマ(ཏཱ་ལའི་བླ་མ་) は、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡である。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ Далай,ཱ་ལའི」と、師(上人)を意味するチベット語の「ラマ བླ་མ་ 」とを合わせたものである。デエ(2005)p.127〕。ティンレ・ギャツォ、ティンレーギャムツォ、ティンレー・ギャンツォとも表記される。チベットのウー・ツァン地方の生まれ〔「歴代ダライ・ラマ法王」ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 〕。1860年から死去する1875年までのあいだ、ガンデンポタンを行政府とするダライ・ラマ政権の首長の座にあった〔ガンデンポタンとは、1642年にダライ・ラマを国主としてチベットに成立したダライ・ラマ政権の行政機関のことである。〕。22歳に達する前に亡くなった4人のダライ・ラマ(9世〜12世)のうちの最後である。 == 出生と即位 == ダライ・ラマ12世ティンレー・ギャツォは、1857年1月26日、チベットのウー・ツァン地方、ラサ近郊のロカ(山南地区)で、父プンツォック・ツェワンと母ツェリン・ユドンのあいだに生まれた〔。 1856年1月、11世ケートゥプ ギャツォが謎の死を遂げ、それを受けて即座に12世探しが始まった〔デエ(2005)pp.191-199〕。候補者は3名あらわれ、首都ラサの民衆の支持を得た大臣らの反対にもかかわらず、摂政は「金瓶掣籤」と称されるくじ引きで後継者を決めることとした〔。 1858年、くじ引きを制したのは摂政の反対者たちによって支持された少年であった〔。同年、ダライ・ラマ12世として認定された彼は、ラサに移ってガンデン寺の僧院長だったレティン・ンガワン・イェシ・ツルティム・ギャルツェンより、「ティンレー・ギャツォ」の僧名を得た〔〔『チベットの歴史と宗教』(2012)pp.73-75〕。1860年、執政ロサン・ケンラブに僧門の誓いを立て、ラサのポタラ宮「黄金の座」に推戴されて戴冠した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダライ・ラマ12世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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