|
ダレル・エバンス(Darrell Wayne Evans , 1947年5月26日 - )は、元MLBの選手。ポジションは内野手(主に三塁手後に一塁手)で、晩年は指名打者 (DH) 。右投左打。アメリカ合衆国・カリフォルニア州パサデナ出身。 == 人物・来歴 == 4月20日にアトランタ・ブレーブスでメジャーデビュー。に41本塁打を放ち、オールスターに初出場。フィラデルフィア・フィリーズのマイク・シュミットと共に、1970年代から1980年代前半にかけてのナ・リーグを代表する強打の三塁手として活躍し、途中にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。頃よりほぼ一塁手にコンバートするが、この年には10年ぶりに30本塁打を記録。また、10年ぶりにオールスターに出場。 にデトロイト・タイガースに移籍。以後は指名打者としての起用も増えた。この年は16本塁打に終わるが、この年チームは開幕からの40試合で35勝5敗(メジャー記録)というロケットスタートを切り、勢いに乗って地区優勝。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)も制して自身初のワールドシリーズに進出。シリーズでもサンディエゴ・パドレスを破り、ワールドチャンピオンとなった。そしてには、40本塁打を放って唯一のタイトルとなる本塁打王を獲得。38歳での本塁打王は現在でもメジャー最年長記録。また、メジャー史上初の両リーグ40本塁打を達成した。その後もには40歳にして34本塁打、99打点を記録しチームの地区優勝に貢献。この年までに所属した3チームで100本以上の本塁打を記録。これはレジー・ジャクソン〔レジー・ジャクソンはオークランド・アスレチックス、ニューヨーク・ヤンキース、カリフォルニア・エンゼルスでそれぞれ100本以上の本塁打を記録。ただし、1年だけ在籍したボルチモア・オリオールズではもちろん100本は未達成。〕に次いでメジャー史上2人目であった。1988年には史上22人目の通算400本塁打を達成。には古巣ブレーブスに復帰し、1シーズンプレイして現役を引退。 引退後は、にはニューヨーク・ヤンキースで打撃コーチ、から2年間は独立リーグのロングビーチ・アーマダ(かつてホセ・カンセコらが所属)の監督を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダレル・エバンス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Darrell Evans 」があります。 スポンサード リンク
|