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ダリル・ビーティー ( Daryl Beattie, 1970年9月26日 - ) は、オーストラリア、クイーンズランド州チャールビル出身の元オートバイレーサー。 == ロードレース経歴 == 、フィリップアイランドで開催されたオーストラリアGP、250ccクラスのワイルドカード枠でロードレース世界選手権初参戦を果たす。非力なマシンながらポールポジションを獲得、トップ争いに絡み、毎周メインストレートで3,4台に抜かれてもそれ以外の部分で抜き返すバトルを繰り広げた。 その後ビーティーは全日本ロードレース選手権500ccクラスにNSR500を駆って参戦し、1992年にはシリーズチャンピオンを獲得した。また同年の鈴鹿8耐ではワイン・ガードナーと組んでRVF750で優勝を果たした。さらに同年にはロードレース世界選手権開幕戦の日本GPでワイルドカード参戦枠で500ccクラスGPデビューを果たし、そのレースで右足を骨折してしまったガードナーの代役として続く第2戦イースタンクリーク 、第3戦シャーアラムにもカネモト・ホンダから出場。それぞれ3位・6位に入る活躍を見せた。 前年の活躍が認められ、にはホンダワークスのロスマンズ・ホンダからミック・ドゥーハンのチームメイトとしてGPフル参戦デビューを果たした。第6戦ホッケンハイムで初優勝し、年間ランキングではケビン・シュワンツ、ウェイン・レイニーに次ぐ3位を獲得した。ホンダは翌年にビーティーをスーパーバイク世界選手権に起用する考えだった。しかし、本人はGPに留まることを望んでいたため、この年限りでビーティはホンダを去ることになってしまった。 翌シーズンはチーム・ロバーツ・ヤマハからの出場となった。第9戦ル・マンではクラッシュでチェーンとリアスプロケットの間に挟んだ片足の指を全て失う大怪我を負い、3戦を欠場。その間の代役は阿部典史が務めた。結局この年ビーティーは表彰台に立つこともなく、シリーズ13位に沈んだ。 にはラッキーストライク・スズキチームに移籍し、この年がビーティーのベストシーズンとなった。シーズン前半はチャンピオン争いをリードし、第7戦アッセンでの転倒・重傷の影響によりドゥーハンに逆転を許してしまったが、シリーズ2位を獲得した。 翌、ビーティーはシーズン開幕前のテストでのクラッシュで頭部に重傷を負ってしまう。開幕から2戦を欠場し、一時復帰したが第4戦ヘレス・第6戦ポールリカールと相次いでクラッシュ、再び欠場することになった。結局この年はわずか4戦の出場となり、シリーズ18位に終わった。 もスズキに残留し苦闘を続けたが、かつての輝きが戻ることはなく、ビーティーはこの年限りでロードレースから引退することになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダリル・ビーティー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Daryl Beattie 」があります。 スポンサード リンク
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