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ダル・マルダン・シャハ(Dal Mardan Shah、生没年不詳)は、ネパール、ゴルカ王国の王子。パタン・マッラ朝の君主(在位:1764年 - 1765年)でもある。 第9代君主ナラ・ブーパール・シャハの息子、第10代君主プリトビ・ナラヤン・シャハの弟にあたる。 ==生涯== ゴルカ王プリトビパティ・シャハの息子として誕生した〔Nepal 4 〕。 パタン・マッラ朝はゴルカ王国のカトマンズ盆地の経済封鎖に耐えかねて、パタンの長老たちはゴルカ王プリトビ・ナラヤン・シャハにパタン王になるよう要請した。その結果、1764年に王弟ダル・マルダンをパタン王として迎え入れた〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.412〕。 その間、同年に兄プリトビ・ナラヤンは盆地の要衝でパタン領キルティプルを攻撃した。パタン王ダル・マルダンはもとより、カトマンズ・マッラ朝、バクタプル・マッラ朝も動かなかったため、キルティプル単独で応戦し、一旦は敗退させたが、ゴルカは長期に渡る包囲を展開した〔佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.496〕。 ゴルカによる盆地の経済封鎖が解かれなかったため、ダラ・マルダンはパタンの長老たちに監禁された〔。その後、1765年に彼はパタンから脱出し、兄の軍勢に合流した〔。 プリトビ・ナラヤンの息子プラタープ・シンハ・シャハの治世、1777年から1784年にかけて、ヴァーラーナシーに追放された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダル・マルダン・シャハ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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