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アルフォンセ・ダンテ・ビシェット(Alphonse Dante Bichette , 1963年11月18日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州ウェストパームビーチ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 == 経歴・人物 == のMLBドラフトでカリフォルニア・エンゼルスに17巡目指名され、プロ入り。9月5日にメジャーデビュー。 には103試合の出場で15本塁打と強打者の片鱗を見せつけたが、その年限りでベテランの強打者デーブ・パーカーとの交換トレードでミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)に移籍。 しかし、ここでも2年在籍して15本塁打、5本塁打に終わり、には新たに拡張された球団コロラド・ロッキーズに移籍。 すると、海抜1,600mの高地にある本拠地マイル・ハイ・スタジアムを味方につけて強打者の素質が開花。 1993年は141試合で打率.310、21本塁打、89打点。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが短縮されたには打率.304、27本塁打、95打点。さらに21盗塁と快足ぶりも発揮。 には本拠地が新設されたクアーズ・フィールドに移転されたが、40本塁打・128打点を記録し、本塁打王と打点王の二冠王、さらにシルバースラッガー賞を獲得。 打率も.340で、チームを創設3年目でワイルドカードでのディビジョンシリーズ進出に導く大活躍。 打率と本塁打はこの年が自己最高であった。 には打率.313、本塁打31、打点141と、打点以外は前年を下回ったが、31盗塁を記録して「30本塁打30盗塁」の快挙を達成した〔「30-30」を記録した1996年にはチームメイトのエリス・バークスも「30-30」を達成。同じチームで2人が「30-30」を達成したのは、のメッツ(ダリル・ストロベリーとハワード・ジョンソン)以来2例目であった。〕。 以後もは打率.308、26本塁打、118打点。は自己最多の161試合に出場し打率.331、本塁打22、打点122。 は打率.298、本塁打34、打点133と毎年のように活躍。 しかし、年々守備力が低下したこともあり、にシンシナティ・レッズに移籍。 さらにシーズン途中にボストン・レッドソックスに移籍し、それでもこの年は155試合に出場して打率.293、本塁打23、打点90と活躍する。 翌は指名打者(DH)としての起用も増えたが、故障もあり107試合の出場で打率.286、12本塁打、49打点に終わると、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。 しかし、ドジャースで公式戦に出場することなく、開幕前の3月22日に現役を引退した。 8月になって、独立リーグのアトランティックリーグ(当時)のナシュア・プライドに入団。 投手と一塁手を務め、わずか1か月で打率.361、13本塁打と貫禄を見せつけた。 、ロッキーズの打撃コーチに就任。9月24日にこの年限りでコーチを辞任することが発表された〔Rockies hitting coach Dante Bichette announces he will not return for the 2014 season MLB.com〕。 息子のダンテ・ビシェット・ジュニアは、8月にリトルリーグ・ワールドシリーズに出場(なおジュニアのチームメイトにはかつてテキサス・レンジャーズ等でプレイした捕手マイク・スタンリーの息子、タナー・スタンリーもいた。)した経験があり、6月のドラフトでニューヨーク・ヤンキースから1巡目指名(全体51位)を受けプロ入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダンテ・ビシェット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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