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ダンヴィユ公爵の遠征(ダンヴィユこうしゃくのえんせい)は、アカディア半島(現在のノバスコシアの大部分)再奪還のために、フランスが1746年6月に派遣した遠征隊である。アメリカ独立戦争以前では、アメリカ大陸に派遣された軍勢としては最も大きなものであった〔James Pritchard (1995). ''Anatomy of a Naval Disaster: The 1746 French Expedition to North America''. McGill-Queen's University Press, Montreal. p. 11〕。ジョージ王戦争中の、フランスによるアナポリスロイヤル(ノバスコシアの首都、かつてのポートロワイヤル)奪還の試みは、これで4度目であり、かつ最後であった。上陸後は、ケベック駐屯軍の援軍を受けることになっていた。ダンヴィユ公爵ジャン=バティスト・ルイ・フレデリック・ド・ラ・ロシュフォール・ド・ロイエは、イギリスからアカディアを奪い返すのみならず、ボストンを火の海にし、ニューイングランドと西インド諸島を破壊するように指令を受けていた。この遠征の知らせは、ニューヨークとニューイングランドを恐怖に陥れた。 この遠征は完全な失敗だった。遠征隊は悪天候に悩まされ、大西洋横断に3か月を要した。艦隊の乗組員や兵士は、遠征隊がチェブクト湾(現在のハリファクス港)に到着する前に病気に苦しめられ、ダンヴィユも到着後ほどなくして死亡した。ダンヴィユのあとを継いだ部下たちは、アナポリスロイヤルに襲撃をかけようとしたが、結局は断念してフランスに戻った。 ==遠征== ===歴史的背景と航海=== 1745年のルイブールの戦いで手痛い敗北を味わったフランスは、ダンヴィユに指令を与えた。すなわち、アカディアを奪還し、ヌーベルフランスを守って、アカディアと、ニューファンドランド島のイギリス人入植地に対し、できるだけ大規模な軍事行動を起こすように命令した〔ROCHEFOUCAULD DE ROYE, JEAN-BAPTISTE-LOUIS-FRÉDÉRIC DE, - Dictionary of Canadian Biography Online 〕。 遠征隊は11,000人の兵士及び乗組員、64隻の艦で構成されていた〔James Pritchard. (1995). ''Anatomy of a Naval Disaster: The 1746 French Expedition to North America.'' McGill-Queen's University Press, Montreal. pp. 232?233.〕。 海軍中将のダンヴィユは、海軍少将のジャック=ピエール・ド・タファネル・ド・ラ・ジョンキエール(ラ・ジョンキエール侯爵)とコンスタンタン=ルイ・デストゥールメルの助力を得た。出港準備に手間取り、1746年の6月22日になってからエクス島を出港した〔。アゾレス諸島沖では長い、静まり返った凪の状態が続いた。この後に嵐が来て、数隻の艦に落雷があった。ある艦ではこのために火薬庫が爆発して30人以上が死傷した。8月24日の時点で、出港から2か月以上経過しているのもかかわらず、ノバスコシアまではまだ300リーグ(900マイル、1448キロ)もあった〔John Grenier. (2008). ''The Far Reaches of Empire: War in Nova Scotia 1710?1760'' University of Oklahoma Press p. 130〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダンヴィユ公爵の遠征」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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