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ダン・クイゼンベリー(Daniel Raymond Quisenberry , 1953年2月7日 - 1998年9月30日)はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手(アンダーハンド)。右投右打。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ出身。ニックネームは「Quiz(クイズ)」。 1980年代前半のメジャーを代表するリリーフエース。 == 人物・来歴 == にカンザスシティ・ロイヤルズにドラフト外で入団。7月8日にメジャー初登板。この年は32試合に登板し、5セーブをあげるにとどまった。ところが、にアンダーハンドにフォームを変えると、大成功。この年75試合に登板し、12勝7敗、そしてリーグ最多の33セーブをあげる。球速はなく、この年も128回1/3を投げて37奪三振と、リリーフエースにしては非常に三振が少ないが、持ち前の制球力とシンカー(シンキング・ファストボール)で凡打の山を築く。コントロールは絶妙で、通算1,043回1/3を投げて与えた四球はわずか162。9イニング平均で1.40個で、これは以後にメジャーで1,000イニング以上投げた投手の中では最少である。 50日間に及ぶストライキでシーズンが中断されたは18セーブに終わったが、には初のオールスター出場を果たし、35セーブをあげて2年ぶりにセーブ王に返り咲く。には、メジャー史上初のシーズン40セーブを達成。最終的には45セーブまで伸ばした(翌にブルース・スーターがタイ記録を樹立し、にデーブ・リゲッティによって更新された)。1983年は9イニング平均0.71個四球、1984年は0.84個という少なさであった。 1984年は44セーブ、も37セーブをあげ、この年まで4年連続でア・リーグセーブ王に君臨。1985年には球団創設初のワールドシリーズ制覇に貢献した。この間、1983年にはロイヤルズと、年俸の一部の支払を、利息をつけた上で引退後に行ういわゆる「終身契約」を結ぶ。しかし1986年は12セーブ、は8セーブと大きく成績を落とす。1987年にはア・リーグの通算セーブ記録を更新した(にジェフ・リアドンによって更新された)。には中継ぎに降格したが、オールスターでの中断中にロイヤルズを解雇となり、セントルイス・カージナルスに移籍した。翌もカージナルスで投げるが、主に中継ぎでの起用で6セーブ。 にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍するが、5試合の登板で防御率13.50の散々な成績で、最後の登板となった4月23日に回旋筋断裂の重傷を負い、そのまま現役を引退した。 引退後は詩人となっていたが、12月に脳腫瘍の診断を受ける。 ガンに転移し、翌に45歳の若さで死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダン・クイゼンベリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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