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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ダーネル・グレン・フォード(Darnell Glenn Ford、1952年5月19日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身の元プロ野球選手 (MLB) である。からまでMLBでプレイした。ニックネームは「ディスコ・ダン(Disco Dan)」。 == 経歴 == 6月4日、オークランド・アスレティックスからドラフト1巡目(全体18位)で指名を受け、プロ入りを果たした〔Dan Ford Statistics and History - Transactions - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月26日閲覧。〕。アスレティックスのマイナーでは、に打率.354・OPS1.105を記録、4年連続で2ケタ本塁打を放つ等の活躍を見せたが、メジャーに昇格出来ないまま、10月23日にミネソタ・ツインズにトレードで放出された〔。 ツインズ移籍1年目の4月12日、対カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。デビュー戦ではライトの守備に入ったが、打席に入る機会はなかった〔April 12, 1975 MIN VS KCR - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月26日閲覧。〕。だが、以後はコンスタントに出場機会を得て、メジャー1年目から130試合に出場した。打率.280・15本塁打・59打点・6盗塁という打撃成績を残した。守備面では、センターでの起用がメイン (119試合) であり、同ポジションで3失策・守備率.988という成績を残した。 は、ライトにコンバートされたが9失策・守備率.968という守備成績に終わり、ディフェンス面では精彩を欠いた。一方で打撃面では、打率こそ低下したものの20本塁打・86打点を記録し、中軸打者として成長した。また、17盗塁を決めて俊足を発揮した。もライトのレギュラーで起用されたが、翌にはセンターに再コンバートされた。シーズンオフの12月4日、トレードでツインズからカリフォルニア・エンゼルスに移籍した〔。 エンゼルス移籍1年目は、フォードにとってキャリア最高のシーズンとなった。8月10日の対シアトル・マリナーズ戦では二塁打を2本・三塁打と本塁打を1本ずつ放ち、サイクル安打を達成した〔Dan Ford 1979 Batting Gamelogs - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月26日閲覧。〕。レギュラーシーズンでは、いずれも自身初の100得点・100打点を記録し、シーズンオフのMVP投票では26位にランクインした〔1979 Award Voting - AL MVP Voting - Baseball-Reference.com (英語) . 2014年11月26日閲覧。〕。 は65試合の出場に留まり、メジャーデビュー以来で初めて出場試合数が100未満となった。翌も100試合に届かなかったが、2年ぶりの2ケタ本塁打となる15本塁打を放ち、通算100本塁打を達成した。シーズンオフの1月28日、自身3度目となるトレードによりボルティモア・オリオールズに移籍した〔。 オリオールズではライトのレギュラーで起用され、123試合に出場したが、打率.235・10本塁打と不振に陥った。は、本塁打が3年ぶりに2ケタに届かなかったが、打率と盗塁で自己2位となる数値 (打率は2位タイ) をマークするなど、一定の成績を見せた。守備面でも比較的安定しており、ライトを守った103試合で3失策・守備率.987という成績だった。同年オリオールズはワールド・シリーズまで駒を進め、フォードは第3戦でホームランを放った。チームはフィラデルフィア・フィリーズを下し、フォードは自身初のチャンピオン・リングを得た。 以降は成績が低下の一途を辿り、を最後にメジャーの舞台から離れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダン・フォード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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