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ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama , 1460年頃 - 1524年12月24日/25日)は、ポルトガルの航海者、探検家である。ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人であり、しばしばインドへの航路をヨーロッパ人として初めて「発見」した人物であるとされる。このインド航路の開拓によって、ポルトガル海上帝国の基礎が築かれた。バスコ・ダ・ガマとも。 == 資料 == ヴァスコ・ダ・ガマについて書かれた史料は非常に少ない。航海については公式な報告が作成されたはずだが残されていない。第1回航海の一隻に乗っていた兵士アルヴァロ・ヴェーリョと考えられる『喜望峰を経由するインディアの発見のためにドン・ヴァスコ・ダ・ガマが1497年に行った航海の記録』(以下『航海記』)が基本的な史料となるが、兵卒という立場ゆえに記述範囲は限定的になった部分が多い〔生田(1992)、p.39-41、第1章 ポルトガルの東方進出、2.ジョアン2世とプレステ・ジョアン ヴァスコ・ダ・ガマに関する史料〕。 資料的価値を持つものは(1496-1570年)の『Decada da Asia de João de Barros feitos que os Portugueses fizeram na conquista e descobrimento das terras e mares do Oriente』(東洋の陸と海の発見と征服においてポルトガル人の行った行為に関するジョアン・デ・バロスのアジアについての10巻の書)(以下『バロス』)であり、1部10巻構成で4部発行された。バロスは16世紀にリスボアのインディア館に勤務した際にそこにあった文書から著したもので、1552年から発行され始めた。次に(1500-1559年)がインド旅行と帰国後の史料調査から著した『História do descobrimento & conquista da Índia pelos Portugueses』(ポルトガル人によるインディアの発見と征服の歴史)(以下『カスタニョーダ』)がある。これらは『航海記』を参照した可能性があり一致する部分が多く見られるが、異なる箇所も多い〔。(1495頃-1565頃)は赴任期間が終了してもインディアに滞在し、『Lendas da Inldia』(インディア記)(以下『コレア』)を著した。内容はヴァスコ・ダ・ガマ第一回航海に付随した修道士の日記や、当事者からの聞き取りなどが反映していると思われ、個別のエピソードに富むが全体では不正確な記述が散見される〔。 第2回航海の史料では『コレア』の他に、帰国後に広く出版された著者不明の『カルクーン』がある。また別に『ヴァスコ・ダ・ガマの第二回インド航海』という作者不詳の記録もある。その他にも書記トメ・ロベスの記録『東インドへの航海』が、原典こそ失われたがイタリア語訳版として後世に伝わった〔生田(1992)、p.142-143、第4章 ガマの第二回航海、2.ガマの第二回航海 インド洋の海上貿易の支配をめざして〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァスコ・ダ・ガマ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vasco da Gama 」があります。 スポンサード リンク
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