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ダース・ローマシュ匡(ダース・ローマシュたすく、1988年12月15日 - )は、奈良県生駒市出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は北海道日本ハムファイターズに在籍。在籍中にダルビッシュ有のチームメートであった関係で、引退後の2013年からは、同投手の記念館「スペース11 ダルビッシュ ミュージアム」(兵庫県神戸市中央区)の責任者を務めている。 == 経歴 == === プロ入り前 === 幼少期は野球が嫌いで、バスケットボールに興味があった。野球人生のスタートは小学校2年時であり、地元生駒市の少年野球チーム「生駒ドラゴンズ」に友達の誘いを受けて入団したが、野球のルールも知らず「面白くない、やめたい」が口癖だった。「約束は守る」と言う家内ルールのため、「6年生まで続ける」と言う約束を守り途中で投げ出す事はなかった。 小学校3年生の時、オリックス・ブルーウェーブ対日本ハムファイターズの試合をグリーンスタジアム神戸の三塁側で観戦した際に、オリックスの選手が一塁側でファンサービスに努めるのとは対照的に三塁側ベンチの日本ハム選手のファンサービスが一切なかったため、「野球も日本ハムも嫌い」と不満を漏らした。しかし、日本ハムに入団する際には不満の様子はなかった。 中学では生駒シニアに入団し、3年時にはエース兼四番打者としてチームを引っ張り全国大会にまで駒を進めた。地元近畿地方の強豪校からの誘いもあったが、岡山県の関西高等学校に進学する。高校2年生の時、秋の明治神宮野球大会で準優勝の原動力となる等、プロから注目をされるまでの選手となる。 2006年のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)で北海道日本ハムファイターズに4巡目指名された。同年のドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で同じ日本ハムに指名された宮本賢は高校の先輩に当たる。背番号66は憧れの投手である斉藤和巳に肖っている。 日本ハム入団会見後、本格的なインド料理が食べられることでも有名な豊平峡温泉から、入浴無料と料理食べ放題の提案があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダース・ローマシュ匡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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