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ダーニシュマンド朝 : ミニ英和和英辞書
ダーニシュマンド朝[あさ, ちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

ダーニシュマンド朝 ( リダイレクト:ダニシュメンド朝 ) : ウィキペディア日本語版
ダニシュメンド朝[だーにしゅまんど]

ダニシュメンド朝(ダーニシュマンド朝、トルコ語 Dânişmendliler)はオグズトゥルクマーンによりアナトリア半島の中部および北東部に建てられたセルジューク朝アタベク政権であり、11世紀後半から12世紀後半まで存在した。スィヴァス(Sivas)を首都とし、トカト(Tokat)やニクサル(Niksar)などを当初は支配した。やがて西はアンカラ、北はカスタモヌ(Kastamonu)、南はマラティヤ(Malatya)へと領土を伸ばした。11世紀末から12世紀初頭、ダニシュメンド朝は周囲を取り囲むルーム・セルジューク朝と激しく争ったほか、西方からやってきてシリア地方を支配した十字軍とも戦っている。
== ダニシュメンド・ガーズィーと君主の称号 ==
ダーニシュメンド、あるいはダーニシュマンド・ガーズィー( Daānishmand Ghāzī, あるいは Danishmend Taylu〔 Claude Cahen cited in 〕, 全名は Gümüştekin Danishmend Ahmed Gazi)という人物により創建されたが、彼についての歴史的記録は乏しく、しかもそのほとんどは後世になって書かれたものである。
ダニシュメンド( Dānishmand/Dāneshmand はペルシア語で「賢者」を、ガーズィー( Ghāzī/Gazi)は「異教徒への征戦(ガズワ)に従事する戦士」を意味する。ダニシュメンド・ガーズィー以降の統治者はテュルク語のベグやアラビア語のアミール(エミール)(いずれも、「将軍」「有力者」の意味)と呼ばれたが、1134年アッバース朝カリフムスタルシドから、数々の戦いでの勝利を讃えて「マリク(メリク)」( ملك Malik/Melik、王)の称号を与えられ、これ以前の統治者たちも遡及的にメリク(王)と呼ばれるようになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダニシュメンド朝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Danishmends 」があります。




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