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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ダーバー(Durbar)はフランスのサラブレッド。同世代の中でフランスの最強馬ではなかったが〔同世代には、フランスの歴史的名馬サルダナパル(Sardanaple)やラファリナ(La Farina)がおり、ダーバーはこれらには敵わなかった。〕、渡英してイギリスダービーに挑み、3馬身差で勝った。ダーバーの祖先にはイギリスの血統書に登録されていない馬が含まれていることから、その血統を巡って論争が起きた。ダーバーは第一次世界大戦のために、競走からの引退を余儀なくされた。 なおダーバーは、イギリスやアメリカに同名馬がいたので、英語文献では「ダーバーII(Durbar II)」と表記されることが多い。 ==背景== ダーバーは体高〔ウマの肩の上までの高さ。首から上は含めない。〕15.3ハンド(61.2インチ≒155.45センチメートル)で、三白流星〔「流星」は、ウマの顔の額から鼻にかけて白い模様があるもの。「三白」は四本の脚のうち、三本の脚先が白いもの。〕のサラブレッドである。アメリカ人のハーマン・B・デュリエ(:en:Herman B. Duryea)がフランスで生産し、デュリエがそのまま馬主となった。 デュリエはニューヨークで競走馬の生産と所有を行っていたが、1908年にニューヨーク州で賭博を禁止する法律(ハート=アグニュー法)が成立して多くの競馬場が閉鎖を余儀なくされたために、仲間とともにヨーロッパへ競馬の本拠を移したのだった〔。 アメリカ血統の流入に対抗するため、すぐにイギリスの競馬界はジャージー規則という新しい規程を設けた。これは、その馬の血統表に登場する全ての祖先馬がイギリスのジェネラルスタッドブックに収録されている馬に遡ることができなければ、その馬をサラブレッドと認めない、というもので、アメリカで成功している多くの競走馬が該当するものだった〔。ダーバーの母アーミニア(Armenia)には血統不詳の祖先馬がいるため、ダーバーはジャージー規則に抵触し、「半血」の烙印を押されることになった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダーバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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