|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ビー : [びー] (n) bee, (n) bee ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty ・ 美術 : [びじゅつ] 【名詞】 1. art 2. fine arts ・ 美術館 : [びじゅつかん] 【名詞】 1. art gallery 2. art museum ・ 術 : [すべ] 【名詞】 1. way 2. method 3. means ・ 館 : [やかた, かん, たて, たち] 【名詞】 1. (1) mansion 2. small castle 3. (2) boat cabin
ダービー博物館・美術館(、ダービーはくぶつかん・びじゅつかん)は、1879年にイングランドのイースト・ミドランドの地方都市ダービーの美術館・博物館。ダービー中央図書館と同時に設立され、建物はによって設計、マイケル・バスによってダービー市に寄贈された。ジョセフ・ライトの絵画のみを展示した画廊や、ロイヤルクラウンダービーやダービー周辺地域の磁器を展示した大型画廊が設置されている。考古学・博物学・地質学に関わる物や軍事用品も所蔵する。美術館の開館は1882年。 == 歴史 == 同館の歴史は1836年2月10日の「ダービー市郡博物館・博物学協会」の設立までさかのぼる。この協会は「フル・ストリート公衆浴場」内に設置されたが、会員の支払う会費によって運営された私的なものであった。当初の所蔵品は、ダービー哲学会の会長を務めていたフォレスター博士によって寄付されたものであった。 当時の後援者は第6代デヴォンシャー公爵の、会長は熱心な博物学者であった卿が務めた〔。鉱物や外国産の鳥の剥製を寄贈し貢献したのは、ジョージ・ゴーラー中佐である。この寄贈品には、ゴーラーが南オーストラリア植民地総督を務めていた際に得たアホウドリの剥製も含まれていた。1839年に工員教習所で開かれた大規模な展覧会(ダービー展覧会)には、慈善事業家のの所蔵品が多く含まれた。これら所蔵品の多くは、ダービー博物館・美術館に引き継がれた〔。協会は、1840年にビクトリア通りのアセニウムに移転した。1856年には所蔵品が急増し、市会議員のから市営化の要請を受けたが協会はこれを断った〔。 1857年にはが幹事に就き、同館は毎週土曜日の朝に一般市民に解放された。1858年、ダービー哲学会は「ダービー市郡博物館・博物学協会」との統合に伴い、付属図書館の4000冊の図書、数学・科学の実験装置、また所蔵品の化石と共にダービー市内ワードウィックに移転した〔, Vol 1, No. 8, 1976〕。1863年に植物学者のアレキサンダー・クロールが最初の司書およびキュレーターに任命され、続く1964年に博物館・美術館と図書館が統合を果たした。クロールはにキュレーターとして移籍するため1875年〔に同館を去った。 ダービー市郡博物館は、1870年になってダービー市に所有権が譲渡されたが、所蔵品を展示する空間を見つけることは困難であった。このためすべての作品を3年間倉庫で保管した後ようやく1879年6月28日に一般公開が始まった〔。美術館は1882年に開館し、1883年には電気照明が利用されるようになった。 1936年にはアルフレッド・E・グディが50年に渡って収集した大量の収蔵品を寄付する。グディは自身の死に際し1万3000ポンドを建物の増築のために遺した。増築は1964年に完了し、現在では博物館と美術館を収容している〔。新館・旧館双方の改築は2010年から2011年にかけて行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ダービー博物館・美術館」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Derby Museum and Art Gallery 」があります。 スポンサード リンク
|