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チェコ人の地およびスロバキア正教会(チェコ語:、スロバキア語:)は、チェコ共和国およびスロバキア共和国を管掌する正教会の教会組織であり、2006年5月2日よりプラハ府主教のクリシュトフ()がその長を務めている。 正教会では一般に、信仰を同じくする教会組織を国や地域ごとに設立し、相互に承認する形をとっている。チェコ・スロバキア正教会は、コンスタンディヌーポリ全地総主教庁やロシア正教会をはじめ、各地の正教会と互いに承認しあっており、信仰を同じくしている。したがって本教会に属する信徒の持つ信仰は、他の国や地域の正教会組織のそれと同一である〔OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in America のページ。〕。 == 歴史 == チェコおよびスロバキアにおける正教会の歴史は、中世にも現代にも存在している。現代のチェコ・スロバキア正教会の管掌地域にはモラヴィア地方が含まれるが、モラヴィアは聖キュリロスと聖メトディオスの兄弟によって、スラヴ人への正教会の布教が進められた地であった。兄弟によるスラヴ人への布教活動のために、聖書がスラヴ語に翻訳され、スラヴ語を書き表すための文字も作り出された。メトディオスが885年に死去すると、ローマ教皇ステファヌス5世は兄弟の弟子たちの活動を禁じてチェコから追放し、その活動は打ち砕かれた。一方、地理的にキエフ・ルーシに近いスロバキアでは、その後も正教会の布教は続けられたが、ウィーン会議によってローマ・カトリック教会へと合同させられた。 第一次世界大戦の終戦によってチェコスロバキアが独立すると、正教会に対する法的な規制から解放され、多数の人々がカトリック教会を去った。大戦前から一部で進んでいたセルビア正教会との協力関係により、彼らはセルビア正教会に傾倒していた。その中に、かつてカトリック教会の司祭で、正教への関心を深めていたマティアス・パヴリク(Matthias Pavlik)がいた。 1921年9月25日、ユーゴスラビア王国の首都ベオグラードにある聖ミハイル大聖堂にて、セルビア正教会のベオグラード総主教・ディミトリはマティアス・パヴリクをモラヴィアおよびシレジアの主教に任命した。彼は中世のモラヴィア主教・聖メトディオスの後継者として、その弟子の一人の名前をとって、ゴラズ(Gorazd)の名が与えられた。 この時代に新しく誕生した国家・チェコスロバキアを代表する正教会組織として、ゴラズはボヘミア、モラヴィアおよびスロバキアを管掌範囲とする教会の組織作りを進めた。ボヘミアでは、11の聖堂と2つの礼拝堂が建てられた。また、チェコ語に翻訳された正教の典礼書を発行した。スロバキアや、当時はチェコスロバキア領であったザカルパッチャでも教会作りを進め、ローマに併呑される以前の正教の伝統をよみがえらせようと努めた。この戦間期の時代にゴラズが築いた小さな教会は、後の第二次世界大戦の時代に、チェコスロバキアの民族との強い結びつきを示すことになる。 アドルフ・ヒトラーに率いられてナチズムがヨーロッパ全土を席巻し、各地で過酷な統治体制が敷かれた時代、チェコやスロバキアもその例外ではなく、ナチズム体制による過酷な支配を受けた。ドイツ占領下のチェコ(ベーメン・メーレン保護領)の総督となったラインハルト・ハイドリヒは、1942年5月27日に、プラハの聖ツィリル・メトジェイ正教大聖堂の近くで攻撃を受け、暗殺された。これを実行したチェコ人の愛国者は、大聖堂の地下聖堂に一時的に隠れていた。正教徒たちは彼をかくまい、ゴラズにそのことを知らせた。しかしやがてナチスは暗殺の実行者の居所を突き止めて大聖堂を襲撃し、彼らを殺害した。正教の信徒や司祭たち、ゴラズは逮捕され、1942年9月4日に銃殺刑に処せられた 更に、報復としてナチスはボヘミアおよびモラヴィアでの教会の活動を禁じた。聖堂や礼拝堂は閉鎖され、教会に関係するチェコ人たちには処分が下された。リディツェなどでは村が完全に破壊され、住民はその場で殺害されるか強制収容所に送られ、ほぼ全てが死亡に追いやられた。正教会は迫害の対象となり、全部で256人の信徒や神品が処刑され、教会の活動は完全に潰えた。 第二次世界大戦が終わると、チェコスロバキアの正教会は、その愛された主教を失った状況下で、復興の道を歩む。1961年5月4日には、セルビア正教会によってゴラズは殉教者と認められ、新致命者として列聖された。1987年8月24日、モラヴィア・オロモウツの聖ゴラズ大聖堂にて、チェコスロバキア正教会によって列聖された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チェコ・スロバキア正教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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