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チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道 (''Chesapeake and Ohio Railroad''、C&O)とはかつてアメリカに存在した一級鉄道である。1869年にバージニア州の小さな鉄道会社が合併して設立され、ウェストバージニア州の石炭を搬出することでバージニア州ニューポートニューズ、そしてハンプトン・ローズの石炭桟橋を形成する基礎となった。また、逆に中西部への鉄道網を形成し、オハイオ州コロンバス、同シンシナティ、同トレドを経てイリノイ州シカゴまで延伸された。本社はオハイオ州クリーブランドにあった。 1972年、C&Oはボルチモア・アンド・オハイオ鉄道(B&O)、ウェスタン・メリーランド鉄道(WM)とともにチェシー・システムとなった。1980年にチェシー・システムはシーボード・システム鉄道と合併し、CSXトランスポーテーションとなり、現在7つある一級鉄道のひとつとして営業を続けている。会社としてのC&Oは、1987年9月2日の統合時にその歴史の幕を閉じた。 かつて本社はウェストバージニア州ハンティントンにあった。そもそも、ハンティントンは、1870年に当時のC&O社長だったコリス・ポッター・ハンティントン(Collis Potter Huntington)がC&Oの本社を置くために建設した都市であり、市の名称は彼の名前からとられている。 == 歴史 == === 草創期 ブルーリッジ山脈越え === C&Oの起源は、バージニア州ルイーザ郡のルイーザ鉄道(1836年開業)と同州ジェームズ川&カナワ運河(1785年開業)である。1950年代および1960年代にC&Oは絶頂期を迎え、150以上の路線を持っていた。 1850年までに、ルイーザ鉄道は東はバージニア州リッチモンド、西は同州シャーロッツビルの路線を建設し、バージニア・セントラル鉄道と改称した。当時、バージニア州は州内の進歩のために各種の補助を施しており、バージニア・セントラル鉄道の株を取得しただけでなく、ブルーリッジ山脈を横断するブルー・リッジ鉄道を設立し、融資もした。ブルーリッジ山脈とはアパラチア山脈の南東側の端部にあり、東海岸から西へ向かう際に最初に立ちはだかる山脈である。 民間の技術者、クラウディアス・クロゼット(Claudius Crozet)の指揮の下、ブルー・リッジ鉄道は4つのトンネルとともに山脈越えの路線を作り上げた。このときに作られた、峠にあるブルーリッジトンネルは長さが4,263フィート(1299メートル)であり、当時としては世界最長のものであった。 同じころ、バージニア・セントラル鉄道はブルーリッジ山脈の西麓から西に向かって線路をひきはじめた。そのルートは、グレート・アパラチア渓谷の一部であるシェナンドー渓谷や、グレート・ノース山を越え、最終的にはアレゲーニー山脈の麓、ジャクソン川駅までたどり着いた。のちのクリフトン・フォージである。 アレゲーニー高地の横断を完遂させるために、バージニア州はコビントン・アンド・オハイオ鉄道という州所有の鉄道会社を作った。この会社はアレゲーニー山脈とその西側でトンネルをいくつも穿つなどして、勾配が緩和された路線を建設した。また、カナワ川沿岸のチャールストン近辺では多くの道路も建設した。その後、1861年に起こった南北戦争により、西に向けての延伸工事はストップした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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