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チェリャビンスク : ミニ英和和英辞書
チェリャビンスク
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


チェリャビンスク : ウィキペディア日本語版
チェリャビンスク

チェリャビンスクまたはチェリャービンスクチリャービンスクラテン文字転写:)は、ロシア連邦都市である。ウラル山脈東麓、ミアス川沿いに位置する。
チェリャビンスク州の中心都市で、重工業が盛んである。はシベリア鉄道の正式な起点。人口は1,093,000人(2006年)。2002年全ロシア国勢調査では1,077,174人、1989年ソ連国勢調査では1,141,777人。
== 歴史 ==

1736年にチェリャバ要塞が現在のチェリャビンスクの場所に建設された。この地名は、ウラル地方に住むテュルク系民族の言葉であるチェリャビ(高貴な)からきている。この要塞は行政の中心であると同時にテュルク系民族に対する軍事拠点でもあり、エメリヤン・プガチョフの反乱軍との戦闘の舞台にもなった。1781年には市の地位を得た。
19世紀末までは小さな町に過ぎなかったが、シベリア鉄道建設の中心地となったことで大きく発展した。1913年1月1日の人口は45,000人ほどだった。
1930年代ソビエト連邦の重工業建設により「チェリャビンスク・トラクター工場」や「チェリャビンスク冶金工場」などの大工場が建ち、人口も急速に増加した。いまだ地方の小都市の域を出なかったチェリャビンスクにとっては、第二次世界大戦も拡大の機会となった。1941年独ソ戦が始まると、ドイツ軍の攻撃にさらされたヨーロッパ・ロシア西部にあったいくつもの大工場がウラル以東へ疎開し、チェリャビンスクにもレニングラードにあったS.M.キーロフ第185工場(1962年オムスクへ再移転)をはじめとする大きな工場や労働者多数が移転し、T-34戦車カチューシャ多連装ロケットランチャーなどが製造されるようになった。こうしてチェリャビンスクは「戦車町」(タンコグラード、)と呼ばれるようになった。大戦中はグラグ(強制収容所)があり15,000人以上が鉱山労働や道路建設、住宅建設などに従事し、戦後はドイツ軍捕虜の収容所も建設されている。
1957年にチェリャビンスクから150キロメートル北西にあるオジョルスク市秘密閉鎖都市のため、当時はチェリャビンスク-65と呼ばれた)のマヤーク核兵器工場で事故が発生し、3万人を越える住民が被曝した。同市には現在もその後遺症が残っている。
2007年8月には上海協力機構の合同軍事演習コード名「ピースミッション2007」が行われた。
2013年2月15日、チェリャビンスク州に隕石が落下し、この衝撃波により市内だけでも3300棟の建物が被害を受け、被害総額は10億ルーブル(約31億円)を上回る見込み。現地当局は盗難や治安悪化を警戒、市街地で夜間の巡回を強化した〔ロシア隕石落下、負傷者1200人に 直径は15メートル 隕石の大きさ、1908年以来 - 日経新聞オンライン(2013年2月16日)2013年2月16日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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