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チェントゥリオーネ2世アサン・ザッカリア(Centurione II Asan Zaccaria, ギリシア語表記:Κεντυρίων Ασάνης Ζαχαρίας, ? 1432年)はイタリア・ジェノヴァ出身の最後のアカイア公(在位:1404年 - 1432年)。 ==家系== ザッカリア家はジェノヴァ出身の大商人の家系で、14世紀に小アジア産の明礬及びヒオス島のマスティハ貿易で財を成し、更に1329年にジェノヴァ人達が同島を東ローマ帝国から奪取するにあたり中心的な役割を果たした(1346年に領有が確定)。当時の当主マルティーノ・ザッカリア(Martino Zaccaria, 1345年没)はアテネ公家の女性ジャクリーヌ・ド・ラ・ロシュを妻に迎え、その嫁資としてアカイア公国領内にダマラス(旧称トロイゼン、現トリジナ)及びハランドリヅァを獲得した。その息子チェントゥリオーネ1世(Centurione I)は東ローマ皇室パレオロゴス家とブルガリア帝国のアセン家の血を引くエレニ・アサニナを妻に迎え、東ローマ皇帝ヨアニス6世カンダクジノスとは義兄弟の縁戚関係を持つに至った。チェントゥリオーネ1世の娘マリア・ザッカリア(Maria Zaccaria)はナヴァラ軍団の長としてアカイア公国の代理総督を務め、後に公位そのものをナポリ王家から買い取ったペドロ・ボルド・デ・サン・スペランの妻となっていた。チェントゥリオーネ2世はマリアの兄弟アンドロニコ・アサン・ザッカリア(Andronico Asan Zaccaria)の息子にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チェントゥリオーネ2世アサン・ザッカリア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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