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チェ・ホンマン : ミニ英和和英辞書
チェ・ホンマン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


チェ・ホンマン : ウィキペディア日本語版
チェ・ホンマン

チェ・ホンマン崔 洪万Choi Hong Man、男性、1980年10月30日 - )は、韓国キックボクサー総合格闘家俳優済州島済州市)出身。ニックネームは「テクノ・ゴリアテ」。
== 来歴(格闘技など) ==
高校卒業時に身長190cm以上あったほどの巨漢。その恵まれた体格を活かし大学中退後、シルムの選手となり、日本の相撲横綱に相当する「天下壮士」の大会で優勝し、天下壮士となる。シルム時代にはテレビ番組で韓国巡業中の朝青龍とも対面、日韓横綱対決と称してリンゴを握り潰すなど才覚を競っていた。だが、2004年12月6日に所属チームが解散し、その後参戦を考えていたK-1に参戦。
2005年3月19日、デビュー戦になったK-1 WORLD GP 2005 IN SEOULのASIA GPで若翔洋ガオグライ・ゲーンノラシンを破り優勝。GPへの出場権を手に入れた。
2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦で行われたGP1回戦でボブ・サップと対戦し勝利を収め、GP決勝ラウンドへの出場権を手に入れた。
2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦で行われたGP準々決勝でレミー・ボンヤスキーと対戦するも判定負け。
2006年6月3日、K-1 WORLD GP 2006 IN SEOULでセーム・シュルトと対戦し、2-1の判定勝ち。しかし、手数・有効打共に圧倒されながらも勝利したことから、雑誌等に「疑惑の判定」と取り上げられることになった。
2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦で行われたGP1回戦で、彼がデビュー前から見ていた憧れの人というジェロム・レ・バンナと対戦。延長ラウンドまでもつれ込んだが、判定負け。
2006年11月末にK-1との2年契約が満了することになっていたホンマンは契約更改の協議がまとまらなかったことで同年12月2日に予定されていた K-1 WORLD GP 2006 決勝戦 を試合10日前の11月22日に及んで欠場に追い込まれた。K-1側はレイ・セフォー、ジェロム・レ・バンナの年俸(当時)に匹敵する30億ウォン(約3億5000万円)をホンマン側に提示していたが「30億ウォンなら、試合数を3回に制限しなければならない。40億ウォン(約4億8000万円)で契約するなら年間5試合に出場できる」とホンマン側が食い下がったため交渉が決裂した。〔朝鮮日報 2006年12月01日〕〔崔洪万、再契約決まらずレイ・セフォー戦を拒否 2006年11月22日15時28分 ⓒ 中央日報/中央日報日本語版〕
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!ボビー・オロゴンHERO'Sルールで対戦。開始16秒パウンドでTKO勝ち。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAでマイティ・モーと対戦。モーの右フックによりK-1キャリアで初となるダウンを喫し、KO負け。
2007年6月2日、Dynamite!! USAブロック・レスナー総合格闘技ルールで対戦予定であったが、カリフォルニア州アスレチック・コミッションのメディカルチェックにより直前で出場できなくなった。原因は、病院でMRI撮影を受けた結果、脳に腫瘍が見つかったことによるが、それはホンマンの巨人症の原因と推定されるものであり、試合には影響しないとの医師の診断もある。当日、開会セレモニーで行われた聖火リレーに参加した。
2007年9月29日、韓国ソウルで開催されたK-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16に開催国推薦選手として出場。GP1回戦でマイティ・モーと再戦。2Rにローキックでダウンを奪い、2-0で判定勝ち。10月4日にK-1競技委員会より発表があり、2Rのダウンは金的付近に当たった不可抗力のアクシデントだったとしてダウンを取り消したが、判定による勝敗には影響がないとされている。このことについてホンマンは、「ローブローはまったく当たっていません。」と笑いながらコメントしたが、スロー映像ではハッキリと金的に直撃している様子が映っており、審判からの注意もない為何度も繰り返し前蹴りを放っていた。
2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け。
2008年4月20日、兵役のため韓国軍に入隊するも、「身長196cm、体重130kg以上の場合は、兵役が免除される」という規定により3日後の4月23日に除隊となった〔渦中のホンマンが記者会見 FEG 2008年7月3日〕。なお、これについて韓国のネット上でバッシングを浴びた。
2008年6月10日、脳腫瘍(脳下垂体腺腫)の除去手術を受け成功。アクロメガリー(先端肥大症)という珍しい病気であった〔http://www.acromegaly-center.jp/general/douga/douga.html アクロメガリー広報センター「動画で知るアクロメガリー」〕。
2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16バダ・ハリと対戦し、2Rにダウンを奪うも攻めきれず判定でドローとなり、肋骨の負傷により延長戦開始前にセコンドからタオルが投入されTKO負け。
2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALのリザーブファイトでレイ・セフォーと対戦し、判定負け。試合後には谷川貞治に「前より悪くなっています。K-1のスピードがせっかく凄くなっているので、彼みたいなタイプは生態系を破壊してしまう。総合格闘技なら持ち味を発揮できそうなので、やってもらいたい。」と評価された〔【K-1】一夜明けて谷川代表「バダ・ハリの主演男優賞発言は言語道断。反省がない」 GBR 2008年12月7日〕。
2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜ミルコ・クロコップDREAMルールで対戦。両者にイエローカードが提示されるほど両者とも手が出ない試合となったが、左ローキックでKO負けを喫した。
2009年5月26日、DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でホセ・カンセコと対戦し、パウンドでギブアップ(DREAMの公式記録はKO)勝ち。
2009年10月6日、DREAM.11のスーパーハルクトーナメント準決勝でミノワマンと対戦し、踵固めで一本負け。
2015年7月25日、ROAD FC 24 IN JAPANでおよそ6年ぶりの格闘技復帰戦に臨むも、カルロス・トヨタに強烈な右フックを浴びて失神し、開始1分29秒でKO負けを喫する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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