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チッカリング(Chickering)は、アメリカ合衆国のピアノメーカー。 == 沿革 == ピアノ製作者ジョン・オスボンの弟子として働いていたジョナス・チッカリングが1823年、 同僚であったスコットランド人と共同でボストンに工房を開いてスクエア・ピアノの製作を開始する 〔『ピアノの歴史-楽器の変遷と音楽家のはなし』音楽之友社、1994年、ISBN 4-27637-069-8:184頁 アメリカのピアノの発展と影響〕。 1830年、イギリスのブックケースタイプと呼ばれる楽器をモデルにして最初のアップライトピアノを完成する。 その後事業拡大のため実業家のジョン・マッケイと組み、工場の名称もチッカリング・アンド・マッケイと改め、 スポンサーを得たチッカリングはピアノの製作と研究に専念する。 1840年にはグランドピアノを完成。総鉄骨が採用されたこのグランドピアノは特許を取得しアメリカにおけるピアノ製造の基礎を築いたといわれている 〔『ピアノの技術と歴史』中谷孝男 音楽之友社 1965年 21頁〕。 1841年に事業を担当していたジョン・マッケイが船で遭難し行方不明となってしまい、このためチッカリングは経営事業にも直接携わるようになる。 ロンドンでピアノメーカーの最高の栄誉賞を受けるなどピアノ事業は順調だったが1852年、不幸にもピアノ工場が火災に遭い全焼してしまう。 新工場の再建に着手するも、創業者のジョナス・チッカリングは1853年でこの世を去る。 その頃、工場はチッカリング・アンド・サンズと名称を改めており、チッカリング社のピアノ製造事業は、ジョナスの長男であるトーマス・E・チッカリングが引き継ぐ。 トーマスは商才にたけた人物で、将来を期待されていたが若くしてこの世を去っている。 トーマスの死後はジョナスの次男であるC・フランク・チッカリングが事業を引き継ぐ。 1867年、パリ万博覧会にピアノを出品して最優秀賞を獲得しているが、その数日後、フランク・チッカリングは当時のフランスの皇帝であったナポレオン3世に拝謁を仰せつかるという栄誉を受け、音楽芸術に対する貢献として十字勲章を授けられる 〔『新装普及版 楽器の事典 ピアノ』東京音楽社、1988年 ISBN 4-88564-124-1:125頁〕。 この頃、ヨーロッパにはピアニストとして名をはせていたフランツ・リストがおり、チッカリングはリストが滞在していたローマまでピアノを届けている。チッカリングが製作したピアノが運ばれてきたときリストは感激して2時間弾き続けたという。また「今日、私はリストの壮麗な音のチッカリングを弾いた」と手紙に記している〔『カラー図解・ピアノの歴史』河出書房新社、2009年、ISBN 4-30927-086-7:87頁 リストに贈られたチッカリング・アンド・サンズ〕。 1891年にフランク・チッカリングはニューヨークでこの世を去るが、チッカリング社は1904年にクォーターグランドピアノと呼ばれる、当時世界最小のピアノを製作している。 1909年以降チッカリング社はエオリアン・アメリカン・カンパニーに吸収され、チッカリング一族は経営から姿を消すことになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チッカリング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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