翻訳と辞書 |
チベット学[ちべっとがく] チベット学(チベットがく)は、チベットおよびチベット系民族の歴史や文化を研究する学問である。オリエンタリズムとしての東洋学に属する。
==概要==
西洋のチベット学は宣教師の伝道から始まる。16世紀末、チベットにキリスト教徒ありと信じ宣教師が伝道に向かったという〔ドゥ・ヨング『仏教研究の歴史』1975, 13頁〕。宣教師も文献学的方法でチベット文化を解読しようとした。それは資料収集、辞書文法編纂、校訂翻訳、文化解読〔サイード『オリエンタリズム』平凡社ライブラリー, 1993, 282頁; Said, Orientalism, Penguin, 1978/2003, 上巻, 121頁〕という手法を用いる文献学や聖書学に基づいていた。それが「言語資料にもとづいて一民族ないしその文化の特徴、ならびにその発展を研究の対象とする学問」(原實)〔と一般に解される文献学となる。このように初期においてチベット研究は、その国の文化をよく理解している国に統治権があるというオリエンタリズムの面から推し進められた。オリエンタリズムはナポレオンのエジプト遠征の頃から植民地支配に利用された〔サイード『オリエンタリズム』平凡社ライブラリー, 1993, 上巻, 190頁; Said, Orientalism, Penguin, 1978/2003, 80頁〕。それは収集保存し、研究展示する〔; 高橋雄造『博物館の歴史』2008, 16頁〕という博物館の役割が社会統制具〔高橋雄造『博物館の歴史』2008, 18頁〕として機能したのと同様のことである(ナポレオンもルーヴル美術館をナポレオン博物館と呼び、これを社会統制に利用した〔高橋雄造『博物館の歴史』2008, 140頁〕)。 そのように、植民地主義と帝国主義の時代の列強諸国や西洋の人々は、上記の方法を用いてオリエンタリズム的姿勢でチベットの文化解読に臨んだ。地理的に隣接するロシアがチベット研究では抜きん出ていた。中国による1950年からの中央チベット侵攻と1959年に至るチベット動乱以前には、各国の図書館などに収蔵された乏しい資料を対象とする文献研究が主流で、いくつかの辞書や目録を頼りとするものであった。1959年以後、亡命チベット人学者の情報と豊富な文献が入手できるようになり、次第に植民地主義も廃れ統治権のために研究するというオリエンタリズムは政治的に意味をなさなくなり、そこから脱却した研究が行われようになった。特に21世紀へ入ってからの西洋での研究は量的にも内容的にも充実してきている。中国では遅れてきたオリエンタリズムのチベット研究が20世紀末から盛になった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チベット学」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|