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チムトシムベロは、中華民国、満州国の政治家。モンゴル族。満州国では蒙政部大臣などをつとめた。字は克荘。 == 事績 == === 清末民初の活動 === チンギス・カンの弟ジョチ・カサルの後裔。幼い頃からモンゴル族貴族としての教育を受け、蒙古語・満語・漢語を習得した。1897年(光緒23年)、札薩克輔国公爵に任ぜられる〔長春档案信息資源網による。徐主編(2007)、2317頁は、1898年としている。〕。翌年、哲里木盟副盟長となり、1905年(光緒31年)、盟長に昇進した。1907年(光緒27年)、鎮国公爵となった〔長春档案信息資源網による。徐主編(2007)、2317頁は、1901年としている。〕。 中華民国建国後の1912年(民国元年)、多羅貝子に任ぜられる。翌年、多羅郡王となった。1914年(民国3年)には、和硯親王に任ぜられ、同年3月、約法会議議員となっている〔徐主編(2007)、2317頁。〕。北京政府から優遇されていたチムトシムベロだったが、やはり清朝復興を望み、これを画策するようになった。例えば1925年(民国14年)には、川島浪速が画策した「満蒙独立盟約」に参加したとされる〔長春档案信息資源網。〕。その一方で、チムトシムベロは吉林省内で隠然たる勢力を保持し、吉林省を統治していた張作相とも姻戚関係を有していた〔吉林省方志館。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チムトシムベロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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