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チャオプラヤー・コーサーパーン : ミニ英和和英辞書
チャオプラヤー・コーサーパーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チャオプラヤー・コーサーパーン : ウィキペディア日本語版
チャオプラヤー・コーサーパーン[ちょうおん]

チャオプラヤー・コーサーパーン(Chaophraya Kosapan、เจ้าพระยาโกษาปาน ? - 1695年)はタイアユタヤー王朝ナーラーイ王時代の政府高官。本名はチャオプラヤー・コーサーティボーディーであるが、が同じ名前を下賜されたので区別のためこう呼ばれる。俗称はパーン(ปาน)。ペートラーチャー王の息子。
== 略歴 ==

=== 渡仏 ===

ナーラーイ王を訪問したフランス王・ルイ14世の使節・シュバリエ・ド・ショーモンen)の帰国の際に、同伴し1684年タイ仏暦2227年)に渡仏し、ルイ14世に謁見した。当時の官位欽錫名プラ・ウィスートスントーン()であった。このときの渡仏の記録は『コーサーパーンの日記』に記されている。3年後帰国。大使として渡仏したものの、西洋人に対しては懐疑的であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャオプラヤー・コーサーパーン」の詳細全文を読む




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