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チャオプラヤー・コーサーレック : ミニ英和和英辞書
チャオプラヤー・コーサーレック[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チャオプラヤー・コーサーレック : ウィキペディア日本語版
チャオプラヤー・コーサーレック[ちょうおん]
チャオプラヤー・コーサーレック(Chaophraya Kosalek、เจ้าพระยาโกษาเหล็ก)はタイアユタヤー王朝ナーラーイ王時代の軍人。正式名称をチャオプラヤー・コーサーティボーディーというが、死後、が同じ名称を下賜されたので、区別のためこの名前が一般的に使われる。俗称はレック(เหล็ก)ペートラーチャー王の息子。
ナーラーイ王時代に軍の総司令官として活躍した。チェンマイ征伐では大勝を得、1664年タイ仏暦2207年)にはビルマ軍を討伐した。翌年ビルマ国内まで攻め入ったが、兵糧が尽き退却した。
1683年(タイ仏暦2226年)死亡。コーサーレックの死亡によりギリシャ人官吏のフォールコンが埋め合わせに昇進した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャオプラヤー・コーサーレック」の詳細全文を読む




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