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チャトランガとは、古代インドのボードゲームの一種で、将棋やチェスの起源と考えられているものである。チャトランガ(caturaṅga:चतुरङ्ग)とはサンスクリット語でcaturは4、aṅgaは要素、部分という意味である。従って、catur-aṅgaは象・馬・車・歩兵の4つの戦力のことを指し示していると考えられている。 二人制のものと四人制のものとが存在した。かつては四人制チャトランガが先に成立し、そこから二人制チャトランガが生まれたとする説があったが、近年の発掘などの成果により、逆に二人制チャトランガの成立の方が先だったとする説が有力となっている。 また、以前は、紀元前327年頃、アレクサンダー大王がインドへ東征した際にチャトランガを見たとされていたが、これも現在では、チェスの原型とは異なる盤上遊戯であったか、インドの戦術がチャトランガのそれに似ていたことを、後世の研究者がゲームの起源と誤認したものとされている。 戦争好きの王に戦争をやめさせるため、戦いを模したゲームを高僧が作って王に献上したのが始まりとする説がある〔数字の歴史―人類は数をどのようにかぞえてきたか、ジョルジュ イフラー、1988/6〕〔ロジカルな将棋入門 (ちくまライブラリー)、野崎昭弘、1990/5〕。チャトランガは現在でもインドに残っているが、植民地支配を受けていた頃に禁止された影響を受け、かなり少なくなっている。 == 四人制と二人制 == 1790年にインドで裁判官を勤めていたウィリアム・ジョーンズが発表した「インドのゲームのチェスについて」という論文に、四人制チャトランガが初めて紹介されている。この論文が、最古のチェスは四人制であったとする根拠となり、19世紀までの有力な説であった。 20世紀に入り、1913年に(H.J.R.Murray)の『』が出版された。この書籍は現在でもチェス史の聖典とされている。『チェスの歴史』では、チェスの起源を四人制とする従来の説を否定している(ただし二人制であったとも断定していない)が、四人制チャトランガについて詳しい解説がなされている。 第二次世界大戦後、マレーが自説の一部を修正したことから、四人制起源説が再び主流となった。1970~1980年代にかけて、四人制起源説が定説となり、この時期に日本で出版された『将棋』(増川宏一、法政大学出版局、1977年、ISBN 4-588-20231-6)でも四人制起源説が紹介されている。 1990年代に入り、新たな研究結果が示されるようになった。ミュンヘン大学のレナーテ・ザイエット教授は、1995年に発表した論文「チャトランガ、チェスの起源と原型、古代への観察」の中で、これまでの四人制原始型説に対しいくつかの疑問を投げかけている。また、ザイエット教授は、12世紀初めのサンスクリットの文献『マーナソーッラーサ』(英語)にチャトランガの記述があるのを発見し、これには二人制のものが先行して書かれていることを指摘している。 さらに、紀元後4~6世紀に成立したとされる『マハーバーラタ』のチャトランガについての記述は、実際の戦争における軍隊の戦術に関するものであり、盤上遊戯のものではないと考えられている。さらに時代がさかのぼった紀元前2~3世紀の四人制チャトランガを初めて示したとされるバールフートのレリーフも、現在ではチャトランガの対戦を示したものとは考えられていない。二人制チャトランガの最古の史料とされるブッダガヤのレリーフも、サイコロ遊びであってチャトランガではないという意見が有力となっている。 現在では、四人制チャトランガは11世紀以前にさかのぼることができないと考えられており、チェス・将棋の起源となる盤上遊戯はサイコロを用いない二人制のものであったと考えられている。二人制のチャトランガが成立した時期も紀元後の数世紀以降と見なす立場が有力である。前述の増川も、2003年に出版された『チェス』(法政大学出版局、ISBN 4-588-21101-3)で自説を修正し、二人制起源説を支持している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャトランガ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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