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チャンストウライ : ミニ英和和英辞書
チャンストウライ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


チャンストウライ : ウィキペディア日本語版
チャンストウライ

チャンストウライ地方競馬兵庫県競馬組合に所属していた日本の元競走馬主戦騎手下原理。おもな勝ち鞍は兵庫ダービー菊水賞兵庫大賞典東海菊花賞佐賀記念
== 戦績 ==
2005年8月16日、ファーストトライ競走を勝利して中央競馬 (JRA) で芝の競走を2戦した〔JRA初戦となった野路菊ステークスの勝ち馬は後のクラシック二冠馬メイショウサムソンで、更に次走の萩ステークスではメイショウサムソンの他にフサイチリシャールドリームパスポートロジックなどが出走している。〕。のち、兵庫ジュニアグランプリ翌日の地元オープン特別で圧勝。
半年振りとなった2006年5月18日のオープン特別も圧勝し、重賞未勝利ながら地元トップのジョイーレに続く存在として兵庫ダービーでは2番人気の支持を集める。そのジョイーレを2周目3コーナーからの叩き合いで競り落として重賞初制覇。レース直後には陣営は菊水賞行きを明言して、ジャパンダートダービーは回避したが、その菊水賞でも兵庫ダービーと同じようなレース振りでジョイーレを競り落とし2冠目を制した。ダービーグランプリ出走が期待されていたが、レースの2日後に右前手根骨骨折が判明、年内復帰は絶望的となった。
復帰は年明け1月25日のハッピー241賞。初めて古馬との対決となったが、ベストタイザンに競り勝ち、復帰戦を勝利で飾った。しかし名古屋競馬場での梅見月杯ではムーンバレイに敗れ2着になった。続いての名古屋大賞典では5着に敗れた。地元に帰って兵庫大賞典に出走。ここではタガノインディーとの接戦をアタマ差制して、2007年初の重賞制覇となった。その後、帝王賞に出走。初のJpn1競走への出走で強豪との勝負となり人気も13番人気と低かったが、シーキングザダイヤなどを交わし4着に入り、地方競馬所属の馬で最先着を果たした。
秋は姫山菊花賞から始動した。圧倒的1番人気に推されて出走したものの、愛知所属のウイニングウインドの2着に敗れて、地元兵庫県で初の敗戦を喫した。続いて東海菊花賞に出走。1番人気のマルヨフェニックスとの叩き合いを制し、重賞4勝目となった。優先出走権を得た名古屋グランプリではフィールドルージュの3着に入った。
2008年佐賀記念から始動。向こう正面で先頭に並びかけると、直線では後続をそのまま突き放し、レコードタイムで勝利。悲願のダートグレード競走初勝利となった。兵庫県所属馬がダートグレードレースを制したのはロードバクシンに続き2頭目、地元以外のダートグレードレースを制したのは史上初の快挙であった。阪神大賞典に出走して10着に終わるが、翌月のアンタレスステークスでは中団から馬群を割ってしぶとく伸び、1着馬から0.5秒差の5着に入線した。続く帝王賞では直線で伸び切れず、6着だった。
その後、夏バテで体調を崩してしまい、予定通りに調整ができず、地元園田競馬場で行われたJBCクラシックに直行し、結果は見せ場なく10着だった。続く名古屋グランプリは地方所属馬では最先着ながら5着に終わった。
2009年も前年同様佐賀記念から始動したが、5着に終わった。続く名古屋大賞典では、同じく兵庫県所属のベストタイザンに先着を許しての6着になり、兵庫県所属の馬に初めて敗戦を喫した〔2007年の名古屋大賞典でアルドラゴンに敗れているが、当時アルドラゴンはJRA所属であった。〕。しかしながら、次走、約1年半ぶりに地元の重賞である兵庫大賞典に出走すると、アルドラゴン、ベストタイザンとの兵庫三強対決を制し、約1年3ヶ月ぶりの勝利を重賞制覇で飾った。
続く神姫バス杯では約2年半ぶりとなる1400m競走にもかかわらず1番人気に応え快勝したが、同距離で行われた7月のオッズパークグランプリでは見せ場がなく6着に終わり、地元の園田競馬場で初めて兵庫県所属馬 (アルドラゴン、3着) に敗れた。この年も夏負けの兆候が見られ、このあと11月の楠賞まで休養に充てた。迎えた楠賞は、3歳馬キヨミラクル、4歳馬バンバンバンクとの激しい追い比べを制して重賞通算7勝目を飾った。
2010年六甲盃から始動したが、2週目第4コーナーで故障を発生し競走中止。その後半年以上休養に当てたが回復せずに9月23日付で地方競馬の競走馬登録を抹消、引退した。今後は馬主の意向により高知県須崎市土佐黒潮牧場に預託、功労馬として余生を送ることとなっている〔土佐黒潮牧場「牧場日記」 - 2010年9月26日閲覧(9月24日付「さて♪」参照)。〕〔チャンストウライ号(兵庫)が引退 - 地方競馬情報サイト 2010年9月30日閲覧。〕。
アルドラゴン、ベストタイザンと並び、2000年代後期の「兵庫三強」と称されることが多いが、兵庫でデビューした純地元馬はチャンストウライのみである。また、地元重賞競走を中心にゴール前の大接戦にめっぽう強かったのが特徴であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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