翻訳と辞書
Words near each other
・ チャート・ゲーザ
・ チャート・コープチッティ
・ チャート・レコード
・ チャート式
・ チャード
・ チャードル
・ チャーナキヤ
・ チャーハマーナ朝
・ チャーハン
・ チャーバス
チャーバーン
・ チャービル
・ チャービン省
・ チャープ信号
・ チャーマラージャナガル
・ チャーマ・ラージャ
・ チャーマ・ラージャ (曖昧さ回避)
・ チャーマ・ラージャ10世
・ チャーマ・ラージャ11世
・ チャーマ・ラージャ1世


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

チャーバーン : ミニ英和和英辞書
チャーバーン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チャーバーン : ウィキペディア日本語版
チャーバーン[ちょうおん]

チャーバーン王トンブリー王朝によって擁立されたチエンマイの国主である。本名はブンマー () である。
==伝記==
当時、チエンマイを支配していたビルマ・コンバウン王朝は、度重なるチエンマイのでの反乱などで支配力を大きく低下させていた。その最中の1770年、トンブリー王朝のタークシンの軍がチエンマイを攻撃した。これに触発される形で1771年、チャーバーンとその一味は、十分に武装せずに300人でチエンマイでビルマに対して蜂起、結局失敗し、チャーバーンの弟はこの戦いで死んだ。
しかし、この後、ラムパーンの国主、カーウィラと合流。またトンブリーから援軍を受けチエンマイを陥落させ、1774年にワット・プラタートハリプンチャイにて即位の式が行われ、チエンマイの国主となった。
しかし、チエンマイの王とは名ばかりで、実際にはチエンマイは荒廃しており、実際にはカーウィラの元に身を寄せていた。1777年チエンマイを再興しようと、チエンマイとラムプーンの近くに移住するが、1779年極度の精神錯乱に陥っていたタークシン王の命で、チャーバーンは甥を殺した罪により逮捕され、トンブリーへ護送され、死亡した。
彼の後、王についたのはカーウィラでカーウィラはチャーバーンの念願であったチエンマイ再興を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャーバーン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.