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チャールズ・デロング : ミニ英和和英辞書
チャールズ・デロング[ろんぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロング : [ろんぐ]
  1. (adj,n) long 2. (adj,n) long

チャールズ・デロング : ウィキペディア日本語版
チャールズ・デロング[ろんぐ]
チャールズ・デロング(Charles E. DeLong、1832年-1876年)は、アメリカ合衆国ニューヨーク出身の政治家外交官西部弁護士から国政に進出した〔泉(2004)pp.36-37〕。
== 人物略歴 ==
ニューヨーク出身。20歳前にカリフォルニアへと移住し、鉱夫などとして働いた。弁護士、ついで1857年には州下院議員となり、2期努めた。
1869年(明治元年)-1874年(明治6年)の間、日本駐在のアメリカ公使を務めた。はじめは弁理公使で、後には特命全権公使となった。1871年(明治4年)に派遣された岩倉使節団に同行して、一時帰国。日本の使節団の通訳やその他の面倒を見た。その間の事情は、久米邦武『米欧回覧実記』などに詳しい。デロングは、この頃、アメリカの中央政界に打って出る機会をうかがっており、駐日英国公使ハリー・パークスとは対日外交上のライバル関係にあった〔。
デロングは駐米日本代表の森有礼代理公使とともに、岩倉使節団副使の伊藤博文に対して、条約改正の本交渉に入ることを進言、伊藤もその旨を大使岩倉具視に提案した〔〔田中彰(2002)p.88〕。岩倉もそれを受けてアメリカ国務省ハミルトン・フィッシュ国務長官に本交渉の開始を申し出たが不調に終わった〔〔田中彰(2002)pp.93-94〕〔泉(2004)pp.59-60〕〔フィッシュ国務長官は明治天皇委任状を求め、大久保利通と伊藤博文は急遽委任状を発行してもらうため帰国したが、体面上ようやく発行された委任状には使用不可の条件がつけられた。泉(2004)p.63。また、アメリカに残留した岩倉具視木戸孝允に対しては、駐日ドイツ公使のマックス・フォン・ブラントと駐日イギリス代理公使のフランシス・アダムズが片務的最恵国待遇の規定などを持ち出して日米単独交渉を論難している。泉(2004)pp.65-66〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャールズ・デロング」の詳細全文を読む




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