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チョガ・ザンビール()とは古代エラム人が、現在のイラン・フーゼスターン州に作った複合遺跡である。メソポタミア地方以外では数少ないジッグラトが存在する。デズフールのおよそ25km西、スーサの45km南方に位置する。1979年に、ユネスコの世界遺産に登録された。 == 概要 == チョガ・ザンビールは、紀元前1250年ごろに、Untash-Napirishaの手によって、Inshushinak神への崇敬の意を込めて建設された。チョガ・ザンビールのもともとの名前は、ウンターシュの街を意味するDur Untashである。しかしながら、この古代都市は、祭司を除いて、多くの人々が居住したとは考えられていない。チョガ・ザンビールは、三層の連結した壁で保護されており、壁によって、メインエリアは、「街」と定義される。 三層のエリアに分けられるチョガ・ザンビールのうち最も内側の層は、主神に捧げるためのジッグラトが建設された。このエリアの建設は、Untash-Napirishaが貯蔵庫を併せ持った寺院とともに建設された。その次の層は、主神に次ぐ地位に入ると考えられる神々のために11の寺院が建設された。もともとの計画では、22の寺院が建設の予定だったと推測されているが、建設途上で、Untash-Napirishaが死亡したため、その後の建設が行われることはなかった。最も外側の層は、王宮や葬祭を行うための場所、王室の5つの墓がある。 Untash-Napirishaが死亡した後、チョガ・ザンビールの拡張は行われなかったが、街自体は、アッシリア王アッシュールバニパルが紀元前640年によって破壊するまで、放棄されることはなかった。チョガ・ザンビールに残る膨大な数の寺院に基づいた学者の推測によるとUntash-Napirishaは、(おそらくスーサに取って代わる)新しい宗教の拠点を作ろうとしていたのではないか、それは、チョガ・ザンビールで高地エラムと低地エラムを一つに結びつけるような宗教の形態でと考えている。 1951年から1962年に実施された考古学調査によって、チョガ・ザンビール遺跡の全貌が明らかになり、ジッグラトが世界中のどこよりも保存のいい状態であると考えられるようになると1979年に、イランで初めて、UNESCOの世界遺産に登録されることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チョガ・ザンビール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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