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エベレスト、エヴェレスト()、またはチョモランマ(〔チベット文字による表記。環境によっては「ཇོ་མོ་ག」と字化けして表示される。〕 ''Chomolungma, Qomolangma'')、サガルマータ( ''Sagarmāthā'')は、ヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山である。 エベレストはインド測量局(Survey of India)で長官を務めたジョージ・エベレストにちなんで命名された。 1920年代から長きにわたる挑戦の末、1953年にイギリス探検隊のメンバーでニュージーランド出身の登山家であるエドモンド・ヒラリーとチベット出身のシェルパであるテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされた。 エベレストの標高については諸説あり、1954年にインド測量局が周辺12ヶ所で測定しその結果を平均して得られた8,848 mという数値が長年一般に認められてきた。1999年、全米地理学協会はGPSによる測定値が8,850mだったと発表した〔GPS-Messung von 1999 〕。厳密には地殻変動などの影響によって標高は年々変動していると考えられている。 エベレストの南麓に位置するネパールのサガルマータ国立公園はユネスコの世界遺産に登録されている。 == 名称 == 現在、エベレストはネパールでは「サガルマータ(सगरमाथा Sagarmatha)」、チベットでは「チョモランマ(ཇོ་མོ་གླང་མ་ jo mo glang ma)」、中国では珠穆朗瑪峰(Zhūmùlǎngmǎ Fēng)または聖母峰(Shèngmǔ Fēng)と呼ばれている。 エベレストの存在が初めて文献上にあらわれたのは1717年、康熙帝の命令を受けてイエズス会士ジャン・バティスト・レジス(Jean-Baptiste Régis)が『皇與全覧図』と呼ばれる中国地図を作成した時であった。そのチベット部分、現在のエベレストの位置に山の絵が描かれ「朱母郎馬阿林」(チュモランマアリン)と表記されている。この地図はレジス神父の故国フランスに送られ、それを受け取った同僚のイエズス会士ジャン・バティスト・デュアルド(Jean Baptiste du Halde)が地図製作者のダンヴィル(Jean-Baptiste Bourguignon d’Anville)に託したので、ダンヴィルによって1735年、『中国新地図集』(Nouvel Atlas de la Chine)として出版された。ダンヴィルの地図では「チョウモウ・ランクマ」(Tchoumou Lancma)と表記されている。これがヨーロッパに「チョモランマ」の名称が初めて紹介された時である。 イギリス東インド会社は1765年以降、測量局を設けてインド各地の詳細な地図の作成を行っていた。1815年、ベンガル、ボンベイ、マドラスにあった三つの測量部が統合されてインド測量局が発足。さらに1818年8月1日にはインド大三角測量部(The Great Trigonomentrical Survey of India)が別に設けられ、三角測量のエキスパートであるウィリアム・ラムプトン(William Lambton)が部長に、28歳の士官候補生ジョージ・エベレストが主任助手に任命された。1833年に組織改編で大三角測量部がインド測量局の傘下に入り、ランプトンの逝去によってエベレストが二代部長となった。1830年にはエベレストはインド測量局長官も兼務することになる。 エベレスト長官はインドの南岸からヒマラヤ山麓までの三角測量を終え、1843年にアンドリュー・ウォー(Andrew Scott Waugh)に長官職を譲って退任した。ウォー長官の時代にヒマラヤ山脈の山々の計測が行われ、まずカンチェンジュンガが世界最高峰であると考えられた。しかし、彼らはさらに奥地にある山に興味を持った。この山は初め「ピークb」(Peak b)、次に「ピークh」(Peak h)のちに「ピーク15」(Peak XV)と呼ばれるようになる。インド測量局の主任測量士でデヘラードゥーンに駐在していたラーダナート・シクダール(Radhanath Sickdhar)がピーク15の測量を行って海抜8840mという標高を算定した。(シクダールはエベレストが世界最高峰であると考えた最初の一人であるとされている。)ピーク15の地域はネパールとチベットにはさまれていたが、どちらの国にも入国ができなかったため、インド測量局では山の地域での呼称を確定できなかった。 1856年3月、ウォー長官はピーク15が8840mでカンチェンジュンガの測量値(8582m)よりも高く、おそらく世界最高峰であるという書簡を王立地理学協会に送付した。この書簡の中でピーク15の名称として「地方での呼び名は数多くあるだろうから、どれか一つを選ぶのは難しい」として前任長官のエベレストにちなんで、山の名前を「エベレスト山」(初めMont Everest、後にMount Everest)としたいとして以下のように述べた。 「尊敬する前長官のサー・ジョージ・エベレスト大佐(Colonel Sir George Everest)は、全ての地形に現地での呼称を採用するよう、私に教えてきた。しかしこの山には、おそらく世界最高峰であろうこの山には、現地での呼称を見いだすことができなかった。もし仮にそれがあったとしても、私たちがネパールへの立ち入りを許可される前に、それが見つかることはないだろう。今のところ、この高峰を名付ける特権と責任とは、同等に私に委譲されているものと思う。この山の存在が、市民と地理学者に広く知られ、文明国家に深く浸透するかは、この高峰の名称いかんにかかっているであろう。」 まだ存命中だったジョージ・エベレスト自身はこの名前がヒンディー語と無関係でインドの人々に発音できない名前であるとして反対し、地理学協会にその旨を書き送ったが、1856年8月に開かれたベンガル・アジア協会の会合で世界最高峰の発見が報告された後の9月に王立地理学協会が「エベレスト山」の名称を受け入れ、インド政庁も承認した。ちなみに現在のエベレストの発音(IPA:/ˈɛvərɪst/または/ˈɛvərɨst/ EV-er-est)と実際のジョージ・エベレストの発音(/ˈiːvrɪst/ EAVE-rest)は異なっている。 ピーク15の名称についてはネパールに駐在した外交官ブライアン・ホジソン(Brian Hodgson)が1856年に地元で「デヴァドゥンガ」(Devadhunga)と呼ばれていると唱えたり、1907年にはインド測量局の技師ナタ・シン(Natha Singh)が地元の民が「チョー・ルンブ」(Chho Lungbhu)と呼んでいることを記録している。1909年にはエベレスト登攀のための情報収集をしていたグルカ連隊の将校チャールズ・グランヴィル・ブルース(Charles Granville Bruce)がクーンブ地方の出身のシェルパから「チョモ・ルンモ」(Chomo Lungmo)という名前を聞いている。他にも19世紀の終わりには「チョモカンカル」(Chomokangkar)というのが山の名前であるといわれたこともあったが、インド測量局は一貫して「エベレスト」の呼称を用い続けた。 1950年代に入って中国政府がチベット名「チョモランマ」(Chomolangma、珠穆朗瑪)を採用した、これは「世界の母なる女神」の意味であるという。1960年代にはネパール政府が「サガルマータ」(世界の頂上の意味)という名称を示した。この名前はネパールの著名な歴史学者バーブラーム・アーチャリヤ(Baburam Acharya)が1938年に文芸誌『シャルダ』に紹介したものだというが、カトマンズでは知られていない一部の地域での名称だったらしい。ネパールは以後、この名称を使い続けている。 山の名称に人名を用いたことについては王立地理学協会やインド政庁でも議論があり、悪しき先例になると考えた人々も多かった。エベレスト山という名称が受け入れられた後で、世界第二位のK2に関しても名称を「ウォー山」(Mount Waugh、1860年)あるいは「ゴドウィン・オースティン峰」(Godwin-Austen 1886年)としようという動きがあったが、いずれも地理学協会やインド政庁が受け入れなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エベレスト」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mount Everest 」があります。 スポンサード リンク
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