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鄭 現旭(チョン・ヒョンウク、1978年12月2日 - )は、韓国出身のプロ野球選手。 LGツインズ所属の投手。 ==経歴== 1998年三星ライオンズで初の1軍登板を果たすと、翌99には先発として活躍し5勝を記録した。 その後故障もあり2001年には1軍登板がなかったが、2003年には43試合、翌04年には27試合に登板し、リリーフとして活躍していた。 2004年9月、兵役不正免除問題で逮捕され、実刑判決を受けた。兵役を務め、除隊後の2007年シーズン途中に三星へ復帰。 2008年には53試合に登板、ロングリリーフとして活躍し10勝15ホールドを記録した。 2009年、第2回WBC韓国代表に選ばれると、予想以上の活躍を見せた。1次ラウンドの日本戦(3月7日)で先発した金廣鉉が2回途中8失点で降板した際に2番手で登板し、日本の打者たちを速球で抑えたことから、2日後の日本との1次ラウンド順位決定戦でも、先発した奉重根の後を受け2番手として登板し、またもやしっかりと抑えチームの完封勝利に貢献した。2次ラウンドでも活躍は続き、緒戦のメキシコ戦では不安定だった先発の柳賢振の後を受け2番手として3回を粘り強い投球で無失点に抑えた。準決勝のベネズエラ戦でも4番手として登板した。メルビン・モーラやカルロス・ギーエン、マグリオ・オルドニェスから三振を奪い、決勝進出に貢献した。決勝の日本戦でも先発した奉重根の後を受け、2番手として登板したが、7回表1-1の同点の場面で中島裕之に勝ち越しタイムリーを浴び、勝利には貢献できなかった。このようなチームのために労を厭わず力投を続ける姿から「国民の奴隷」というニックネームがつけられた。レギュラーシーズンでは自己最多の62試合に登板し、抑えに中継ぎにフル回転。WBCや前半戦の疲労もあって後半はやや調子を落したものの、同僚の權奕とともに勝利の方程式の一環として活躍した。 2008年から2012年まで5年連続50試合以上に登板し、三星のリリーフ陣に不可欠の存在であった。しかし2012年シーズンはやや成績が落ち、オフには初のFA(フリーエージェント)によってLGツインズへ移籍した。 2013年、LGでも中継ぎとして起用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭現旭」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jong Hyun-wook 」があります。 スポンサード リンク
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