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チョーマ・ド・ケレス : ミニ英和和英辞書
チョーマ・ド・ケレス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チョーマ・ド・ケレス ( リダイレクト:ケーレシ・チョマ・シャーンドル ) : ウィキペディア日本語版
ケーレシ・チョマ・シャーンドル[ちょうおん]

ケーレシ・チョマ・シャーンドル(, 1784年4月4日〔Duka (1885) p.3 による。一島 (1984) では1789年生まれ、外部リンクのハンガリー科学アカデミーのウェブサイトでは1787年または1788年生まれとしている。〕 - 1842年4月11日)またはアレクサンダー・チョーマ・ド・ケーレス(Alexander Csoma de Kőrös, 出版物では印刷上の制約により Körös または Koros と書かれることが多い)は、ハンガリー東洋学者で、西洋のチベット学の祖。
ケーレシは出身地、チョマが姓、シャードルが名である。
== 生涯 ==

トランシルヴァニアのハーロムセーク(Háromszék, 現在のルーマニアコヴァスナ県)にあるケーレシ村(Kőrös, ルーマニア語:キュルシ/Chiuruș)で生まれた。この村の名は後にチョマにちなんでチョマケーレシ村()と改められた。
1816年から1818年までゲッティンゲン大学で学んだのち、1819年から1822年にかけて、インドスリナガルまで陸路を旅した。チョマはマジャル人の故地と信ずる中央アジアにインドから入ろうと試み、1822年にラダック地方レーに到達した。中央アジアに入ることはできなかったが、ザンスカールのザンラとプクタル、およびカナム(現ヒマーチャル・プラデーシュ州)の僧院でチベット語チベット仏教を学んだ。
1831年以降、カルカッタベンガル・アジア協会で図書館員として働きながら、チベット語・英語辞典およびチベット語文法書などを編纂した。
1842年にラサ入りをめざしたが、途中でマラリアに罹患して、ダージリンで病死した。
ハンガリー科学アカデミーのチョマ文書は2009年にユネスコ記憶遺産に指定された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケーレシ・チョマ・シャーンドル」の詳細全文を読む




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