|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 政 : [せい, まつりごと] 【名詞】 1. rule 2. government ・ 政党 : [せいとう] 【名詞】 1. (member of) political party ・ 党 : [とう] 1. (n,n-suf) (1) party (political) 2. (2) faction 3. -ite
チリの政党では、チリにおける政党について説明する。 == 解説 == 1973年9月のクーデター前までのチリは、「三等分構造」(tres tercios)と呼ばれ、左派(社会党、共産党)・中道(キリスト教民主党)・右派(国民党)がそれぞれ3分の1程度の政治勢力を有していた。しかし、73年9月にピノチェト将軍を中心とするクーデターが発生し、軍政が敷かれたことで既存政党は全て解散させられた。そして1990年の民政移行後は、上下両院の選挙制度に「修正2名制」〔正式には「修正多数代表2名制」(sistema binominal mayoritario corregido)と呼ばれ、有権者は各政党若しくは政党連合が提出した候補者名簿から1名を選んで記名投票する。しかし、大選挙区制と違って得票率に応じて上位二名が当選するのではなく、候補者名簿毎に得票集計がなされ、同一政党(若しくは政党連合)の候補者二名が当選するには、次点となった別の候補者名簿が得た得票率の2倍以上の得票を得なければならず、2倍未満の場合、2位は次点リストの候補者が当選する仕組みとなっている。そのため、第3党以下の政治勢力は議席を得ることが著しく困難な仕組みとなっている。事実、共産党を中心とする「フント・ポデーモス・マス」は1989年以降の国会議員選挙で議席を得ることが出来ない状況が続いていた。しかし2009年12月、大統領選挙と同時に実施された上下両院の議員選挙では、共産党がコンセルタシオンの候補者名簿に参加することで三名の当選者を出すことが出来た。参照:北野浩一「第5章 チリ・バチェレ政権の成立と課題」『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』178頁。〕が導入されたこともあって、コンセルタシオン・デモクラシア(左派・中道)、変革のための同盟(右派・中道右派)という2大政党連合を中核とする穏健な多党制へと変化している。 アウグスト・ピノチェト政権による軍政から民政移管後は、中道左派のコンセルタシオン・デモクラシアが一貫して政権を維持していたが、2010年1月の大統領選挙で中道右派の「変革のための同盟」が推すセバスティアン・ピニェラ候補が当選を果たしたことで、中道左派から中道右派への政権交代が初めて行われた。コンセルタシオンは2013年4月に共産党など左派政党も加えた「新多数派」に改編され、同年12月の大統領選挙でミシェル・バチェレ元大統領が返り咲き当選を果たし、政権与党となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チリの政党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|