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チンチラ・デ・モンテアラゴン : ミニ英和和英辞書
チンチラ・デ・モンテアラゴン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


チンチラ・デ・モンテアラゴン ( リダイレクト:チンチーリャ・デ・モンテ・アラゴン ) : ウィキペディア日本語版
チンチーリャ・デ・モンテ・アラゴン

チンチージャ・デ・モンテ=アラゴン)は、スペインカスティーリャ=ラ・マンチャ州アルバセーテ県の自治体。県都アルバセーテから約15kmの距離にある。スペイン統計局によると、2009年の登録人口は約3,803人となっているが、水の消費データから換算すると居住人口は約5000人と考えられ、その多くはチンチーリャをアルバセーテの寝るためだけの町として利用しているものと思われる。
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==歴史==
新石器時代から人が定住していた。イベリア族にはモンテ・アラガ(Monte Arraga)として知られた。チンチーリャ(chinchilla)という名は、ケルト語で『短い滝』を意味するTeicheaから派生したとされ、のちラテン語のSaltigisより、Saltici、Cinxella、Suintila、Sintilaへ変化していった。
8世紀以降はイスラム支配下におかれ、ムルシア王国時代はYinyaláまたはSintinyalaと呼ばれた。
1242年、カラトラバ騎士団サンティアゴ騎士団とともにカスティーリャアルフォンソ10世アラゴンハイメ1世と同盟してアラブ人と戦い、チンチーリャの再征服を果たした。14世紀にはビリェーナ侯領であったが、フアン2世時代にカスティーリャ王領となった。その後、カラトラバ騎士団の騎士団長であったアラゴン王子エンリケが、ビリェーナ領主の地位を狙ったことから、カスティーリャ王家に忠実なチンチーリャは抵抗した。しかしエンリケ王子のもとへ、フアン2世の妹カタリナ王女が嫁ぐ際に、チンチーリャは持参金として渡された。アラゴンとカスティーリャの係争地となったチンチーリャは、エンリケ4世の代に彼の寵臣ディエゴ・デ・パチェコのものとなった。エンリケ4世の後継をめぐる内乱で、パチェコはフアナ・ラ・ベルトラネーハ王女側について敗北し、勝者であるイサベル1世は1480年にチンチーリャを再び王領へ併合した。カトリック両王時代から、政治経済においてアルバセテが優位となり、チンチーリャは寂れていった。しかし堅固な岩山の上に位置する戦略上の要地であったことから、スペイン継承戦争で争われ、オーストリア大公カール(のちの皇帝カール6世軍がチンチーリャを占領した。半島戦争においてもフランス軍に占領された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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