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ツァーリ・ボンバ(、、「爆弾の皇帝」の意)は、ソ連が開発した人類史上最大の水素爆弾の通称である。正式名称はAN602であり、開発時のコードネームはイワン()であった。「ツァーリ・ボンバ」の名称は西側諸国が、クレムリンに展示されている世界最大の鐘ツァーリ・コロコル、世界最大の大砲ツァーリ・プーシュカになぞらえてつけたものであるが、現在はロシアでも広く用いられている。なお他国の文献で「正式名称」として使用される「RDS-220」「RN202」はキリル文字での正式名称「РДС-202」「РН202」をラテン文字に翻字したもの〔S. J. Zaloga, The Kremlin's Nuclear Sword, Smithsonian Institution Press, Washingthon and London, 2002, p51-52〕。 単一兵器としての威力は人類史上最大であり、1961年10月30日にノヴァヤゼムリャで、唯一の大気圏内核実験が行なわれ消費された(以後製造されていない)。TNT換算で99000キロトン(約100メガトン)、実際の出力は後述のように、50メガトンに制限されたが、それでも広島型原子爆弾「リトルボーイ」の3300倍(リトルボーイは15キロトン)に達する。第二次世界大戦中に全世界で使われた総爆薬量の10倍の威力を持つといわれるこの100メガトン級核爆弾の核爆発は2,000キロメートル離れた場所からも確認され、その衝撃波は地球を3周した。 == 実験指示 == ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は1961年7月10日、第22回ソビエト連邦共産党大会開催中の10月下旬にこの爆発実験を行うよう指示を出した。その時点で実施日まで15週しかなかったが、実験に用いるAN602はすでに完成していた。 この当時、世界情勢は極めて緊迫した状態にあった。1961年8月のベルリンの壁建設開始、数ヶ月前に発表されたソ連による核実験のモラトリアム中止、後のキューバ危機に結びつくキューバへの核配備計画実施などのためである。そのような状況下での実験は世界中を震撼させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツァーリ・ボンバ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsar Bomba 」があります。 スポンサード リンク
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