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ツァールストヴォ : ミニ英和和英辞書
ツァールストヴォ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ツァールストヴォ ( リダイレクト:ツァーリ#ツァーリ国 ) : ウィキペディア日本語版
ツァーリ[ちょうおん]

ツァーリ()あるいはツァールブルガリア語セルビア語ウクライナ語цар)〔ラテン文字表記の例'、'、'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'、'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。など。〕〔ドイツ語)や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'')や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'')ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリアロシアなどスラヴ語圏で使用された君主称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国のハーンを指す語としても用いられるようになった。
ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。
== ブルガリアのツァール ==

ブルガリアのツァールは、第一次ブルガリア帝国シメオン1世が東ローマの首都コンスタンティノポリスへ攻め入った際、和平の条件の一つとして「皇帝」の称号を得たことによる、とされる〔ただし、東ローマにおいては、一般的に皇帝の称号は「バシレウス(中世以降のギリシャ語ではヴァシレフス)」である。〕。
これを足がかりにシメオンは「ブルガリア人ローマ人の皇帝」と称して、東ローマ皇帝の位を奪取することを目指したが果たせなかった。
しかし、その後も第二次ブルガリア帝国ブルガリア王国においても君主の称号として用いられ続けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツァーリ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsar 」があります。




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