|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ツァーリ()あるいはツァール(ブルガリア語、セルビア語、ウクライナ語:цар)〔ラテン文字表記の例:'、'、'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。、'、'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。、'など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。など。〕〔ドイツ語()や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'')や英語()ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。'')ではツァーと呼び、日本語文献でもそう表記する場合がある。〕は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」〔東ローマ時代の公用語であるギリシャ語では「カイサル」。東ローマでは皇帝の称号の一つではあったが、単に「カイサル」といった場合は副帝を指し、時代が下ると爵位の1つに過ぎない。〕という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。 == ブルガリアのツァール == ブルガリアのツァールは、第一次ブルガリア帝国のシメオン1世が東ローマの首都コンスタンティノポリスへ攻め入った際、和平の条件の一つとして「皇帝」の称号を得たことによる、とされる〔ただし、東ローマにおいては、一般的に皇帝の称号は「バシレウス(中世以降のギリシャ語ではヴァシレフス)」である。〕。 これを足がかりにシメオンは「ブルガリア人とローマ人の皇帝」と称して、東ローマ皇帝の位を奪取することを目指したが果たせなかった。 しかし、その後も第二次ブルガリア帝国、ブルガリア王国においても君主の称号として用いられ続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツァーリ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsar 」があります。 スポンサード リンク
|