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ツァイス・イコン()は #カール・ツァイス財団傘下で1926年に創設されたカメラメーカー。 #コシナとカール・ツァイスが提携し、2005年に発売されたレンジファインダーカメラのブランド。 である。 == 歴史 == *1920年3月28日 - イカとコンテッサ・ネッテルが利益共同体を成立させた。 *1925年9月29日 - 利益共同体にゲルツとカール・ツァイスが参加した。 *12月10日 - 利益共同体にエルネマンが参加した。 *1926年5月8日 - 利益共同体が成立したが各メーカー間の競合はなくならず合理化も進まなかったことから、カール・ツァイス財団の主導で有力カメラメーカーであったイカ、エルネマン、ゲルツ、コンテッサ・ネッテルの4社が合併契約に調印した。 *8月25日 - 新会社の設立契約が締結された。この際新会社名がツァイス・イコンと決まった。その理由は、ツァイスを使ったのは新たな宣伝費を減らしたかったからで、イコンはただの思いつき〔『ツァイス・イコン物語』p.86。〕。 *10月1日 - 新会社の設立契約が発効した〔。資本金は1250万マルク。本社はエルネマン本社社屋をそのまま使用し、社長はイカ社長だったエマヌエル・ゴルトベルクが就任した。当初は統合前の製品にツァイス・イコンの刻印を押して製造していたが、間もなくエマヌエル・ゴルトベルクはカール・ツァイスからハインツ・キュッペンベンダーを呼んで片腕とし、35mmカメラ設計プロジェクトを推進させた。 *1927年1月27日 - カール・ツァイスグループ内での競合を避けるためレンズ、双眼鏡、眼鏡はカール・ツァイスに移管され、ショットとゲルツが手がけていた照明器具はツァイス・イコンに一本化するなど、製造品目について契約がされた〔『ツァイス・イコン物語』p.90。〕。 *1928年 - ヴェッツラーのヘンゾルトを合併した。1500万マルクに増資した〔『ツァイス・イコン物語』p.91。〕。 *2月 - ゲルツの子会社でフィルムメーカーであった〔『ツァイス・イコン物語』p.57。〕ゲルツ・フォトヘミンシェ・ヴェルケを吸収合併した〔。 *1929年 - 最初のオリジナル製品ミロフレックスと最初のオリジナル設計製品イコンタ発売。 *1931年 - アルフレッド・ゴーティル(プロンター)を合併。 *1932年 - ハインツ・キュッペンベンダーを責任者としてコンタックスを発売。 *1934年 - イコフレックス発売。 *1945年 - 第二次世界大戦のドレスデン爆撃で大きな被害を受け、また戦後は東西分断された。西ドイツのツァイス・イコンはシュトゥットガルトを本拠にした。一方ツァイス・イコンの本拠地東ドイツドレスデンの工場は人民工場として発展し、西ドイツのツァイス・イコンと商標権の侵害訴訟が生じた。販売地域と輸出地域を切り分けることで和解をみた。なお東側ではイエナのカール・ツァイス人民公社の他、ドレスデンを中心に多くの製造公社が人民公社として組織され、統合と分離を繰り返した。ツァイス・イコン、カメラ・ヴェルクシュテーテン、バルダ、ヴェルタ、クルト・ベンツィンなどは組織化されたが、やがてペンタコンに統合された。 *1956年 - 西側のツァイス・イコンがフォクトレンダーの株式を全部取得して協働体制を取った。 *1969年 - 西側のツァイス・イコンがフォクトレンダーを完全合併した。 *1971年 - 西側のツァイス・イコンがカメラ生産から撤退を発表した。これに伴いレンズを供給していたカール・ツァイスは新たな供給先を探し、1974年日本のヤシカと提携、コンタックスRTSが発売されることとなった。 *2004年 - コシナとカール・ツァイスが提携し、レンジファインダーカメラ「ツァイス・イコン」発売を決定、2005年10月に発売された。 == 製品一覧 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツァイス・イコン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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