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ツェントラル鉄道 : ミニ英和和英辞書
ツェントラル鉄道[つぇんとらるてつどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 

ツェントラル鉄道 : ウィキペディア日本語版
ツェントラル鉄道[つぇんとらるてつどう]

ツェントラル鉄道(ツェントラルてつどう、〔"中央鉄道"を意味するものであるが、現在スイス国鉄およびBLS AGの一部となっている旧スイス中央鉄道(Schweizerische Centralbahn(SCB))との関連はない、また、なお、同じスイスの旧チューリッヒベルク鉄道(Zürichbergbahn)も略称はZBとなっている〕)はスイス鉄道会社で、運転区間はインターラーケン・オストからルツェルンまでのブリューニック線74kmと、途中のヘルギスヴィールから分岐したエンゲルベルクまでの24kmである。
== 概要 ==
2005年1月1日私鉄ルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道〔Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(LSE)〕が従来の自社線の保有・営業に加えて、スイス連邦鉄道(スイス国鉄)のブリューニック線の保有・営業を譲受し、ツェントラル鉄道へ名称を変更した。これは2004年6月30日連邦参事会がスイス国鉄に対して、2005年1月1日をもってルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道へブリューニック線を売却する権限を与えたことによるものであり、営業譲受に伴いスイス国鉄がツェントラル鉄道の株式の66.0%を保有している。全線軌間は1000ミリ(メーターゲージ)で、途中のブリューニック峠およびエンゲルベルク付近にはリッゲンバッハ式のラックレールが敷設されている。ブリューニック線とBLS AG〔1996年に BLSグループのBLS(Bern-Lötschberg-Simplon-Bahn(BLS))とギュルベタル-ベルン-シュヴァルツェンブルク鉄道(Gürbetal-Bern-Schwarzenburg-Bahn(GBS))、シュピーツ-エルレンバッハ-ツヴァイジメン鉄道(Spiez- Erlenbach-Zweisimmen-Bahnn(SEZ))、ベルン-ノイエンブルク鉄道(Bern-Neuenburg-Bahn(BN))が統合してBLSレッチュベルク鉄道(BLS LötschbergBahn(BLS))となり、さらに2006年にはミッテルランド地域交通(Regionalverkehr Mittelland(RM))と統合してBLS AGとなる〕、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道〔Montreux-Berner Oberland-Bahn(MOB)〕のモントルー - インターラーケン・オスト - ルツェルン間はゴールデンパス・ラインと呼ばれている。
ブリューニック線は1884年にスイス北西部の私鉄であるベルン-ルツェルン鉄道〔Bern-Luzern-Bahn(BLB)〕とジュラ・ベルン鉄道〔Jura bernois(JB)〕が合併した、ジュラ-ベルン-ルツェルン鉄道〔Jura-Bern-Luzern-Bahn〕がルツェルンからブリューニック峠を超えてトゥーン湖方面への路線として計画され、1888-89年に開業した路線であり、同鉄道の他の路線と異なり軌間1mの規格で建設され、途中ブリューニック峠越えの区間はリッゲンバッハ式のラックレールが敷設されている。開業当初の路線はルツェルンからブリエンツ湖北西岸のブリエンツまでとなっており、駅に隣接した埠頭から蒸気船でブリエンツ湖西端のインターラーケンまで連絡をしていた。その後スイス各地の私鉄の統合の進行に伴ってジュラ-ベルン-ルツェルン鉄道も1890年1月1日には西スイス・シンプロン鉄道〔Compagnie de la Suisse Occidentale et du Simplon(SOS)〕と合併し、翌年にはポン-バローベ鉄道〔Pont-Vallorbe-Bahn(PV)〕を併合して最終的にはスイス西部に937kmの路線網を持ち、ベルン、ルツェルン、バーゼルジュネーヴといった都市や建設中のシンプロントンネルを網羅するジュラ-シンプロン鉄道〔Jura-Simplon-Bahn(JS)〕となったが、さらに1903年5月1日にはジュラ-シンプロン鉄道が、前年の1月1日に他の5社の私鉄が統合して誕生していたスイス国鉄に統合され、ブリューニック線もスイス国鉄の一路線となった。その後ブリエンツ湖の水運との連絡の不便さからブリューニック線を延長して直接インターラーケンまで乗り入れることとなり、1916年にインターラーケン・オスト駅までの間が開通して現在の路線となった。また、スイス国鉄では他に1m軌間の路線を持たず、1435mm軌間への改軌や電化が度々検討されたが、第二次世界大戦の影響による石炭の価格高騰により1941-42年に電化が実施されたものの改軌は実現せず、1m軌間のまま現在に至っているが、2000年代前後からSバーン区間に指定されたルツェルン近郊区間を中心に路線や施設の改良計画が進み、ルツェルン付近などの地下化や近郊区間の複線化、主要駅の改良などの工事が現在も進行中である。また、ルツェルン - レスリマット信号場間は、クップファーハンマーを経由してクリエンスに至る貨物鉄道である1435mm軌間のクリエンス-ルツェルン鉄道〔Kriens-Luzern-Bahn(KLB)、1998年5月23日にはクップファーハンマー - クリエンス間廃止、以降引込線として残存、2003年8月24日に同区間廃棄、2009年12月31日全線廃止〕と路線を共有しているため、クリエンス-ルツェルン鉄道がルツェルン - クップファーハンマーを開業させた1897年4月27日より四線軌条となっており、1999年にはホルヴまで三線軌条で延長されて同駅から1435mm軌間の引込線が敷設されているが、ツェントラル鉄道のルツェルン付近の地下化工事による路線変更を見越して2009年12月31日にクリエンス-ルツェルン鉄道が廃止となったため、以降はルツェルン - ホルヴ間の1435mm軌道もツェントラル鉄道の管轄となっている。
旧ルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道線は1898年にシュタンスシュタート-エンゲルベルク鉄道〔Stansstad-Engelberg-Bahn(StEB)〕によるシュタンスシュタートからエンゲルベルクまでの登山鉄道として開業しており、同じ年に開業したユングフラウ鉄道〔Jungfraubahn(JB)〕およびゴルナーグラート鉄道〔Gornergrat-Bahn(GGB)〕と同じ三相交流〔三相750-850V 33Hz、ユングフラウ鉄道は三相650V 40Hz(現在は1125V 50Hz)、ゴルナーグラート鉄道は三相550V40Hz(現在は750V50Hz)〕による電化で、開業当初は3社とも同様の形態の木造ニス塗車体で2軸の小型ラック式電気機関車による運行となっていた。なお、シュタンスシュタートからシュタンスまでの間には1893年からすでにシュタンスシュタート-シュタンス軌道〔Strassenbahn Stansstad-Stans(StSt)、3.5km、1000mm期間、直流550V電化で3両の電車と2両の客車、貨車1両で運行されていた〕の路面電車が運行されており、競合をしていたが、1903年にシュタンスシュタート-エンゲルベルク鉄道が同鉄道を併合するとともに路面電車を廃止している。シュタンスシュタート-エンゲルベルク鉄道は開業時にはルツェルン湖(フィーアヴァルトシュテッテ湖)の主にルツェルン方面からの船舶運輸との連絡を前提としており、シュタンスシュタート駅はルツェルン湖の支湖であるアルプナッハー湖の埠頭上に設けられていたが、湖の水運が次第に衰退してくると不便さが目立つようになったため、鉄道を延長してスイス国鉄のブリューニック線へ乗り入れてルツェルンまで直通運転をすることとなり、ヘルギスヴィールまでの新線の建設と電気方式のスイス国鉄と同じ単相交流15000V 16.7Hzへの変更が1964年に完成し、同時に社名をルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道へ変更している。なお、この際にシュタンスシュタート駅はアルプナッハー湖の埠頭から市街地内へ移設されており、ゲルビ信号場 - シュタンスシュタート間の旧線1.7kmが廃止されている。さらに、運行上のネックとなっていたオーバーマット - グリューネンヴァルト間の261パーミル区間の勾配を緩和して所要時間の短縮と輸送力増強を図るために全長4030m、最急勾配105パーミルのエンゲルベルグトンネルで同区間を迂回する工事が2001年に開始され、ツェントラル鉄道統合後の2010年12月に開業、所要時間が14分短縮、輸送力が1時間当たり400人から1000人へ増強、運行編成数が昼間で3編成から2編成への低減されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツェントラル鉄道」の詳細全文を読む




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