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ツォウ語[-ご]
ツォウ語(-ご)は台湾のツォウ族の言語で、南北の語群に分かれる(北ツォウ語を俗にツォウ語という)。南ツォウ語はカナカナブ・ツォウ語 (Kanakanabu)、サアロア・ツォウ語 (Saaroa) の2つ。 == 分類 == 北ツォウ語群は「阿里山ツォウ語」ともいわれ、特富野社 (Tfuya, Tfuea)、達邦社 (Tapangu)、伊姆諸社 (Imutsu, Limutsu)、魯富都社 (Luhtsu, Luhtu)の四つの方言語群に分けられる。しかし、四社のうち伊姆諸社と魯富都社はともに20世紀初頭に廃社となり、住民は近隣各社へ分散した。民族語学院 (Ethnologue) の記録(1981年)では伊姆諸社方言語群は消失したとされる。現在では北ツォウ語の方言群を久美(望美)方言語群、特富野方言語群、達邦方言語群とする。方言間の差異はきわめて小さい。 1927年6月ロシアの言語学者、ニコライ・ネフスキーは台南師範の特富野鄒族青年"矢多一生 (Uoŋǝ Jatajoŋana, :zh:高一生)" と一ヶ月あまり田野のツォウ語を調査した。ネフスキーは日本語に精通しており、二人は日本語で意思疎通をはかった。この期間で15個の故事を記録し(ラテン文字とIPAで記録)、並びにツォウ語の発音、文法、単語,ツォウ族民族文物30件を収集した。ネフスキーは1929年にソ連へ帰国後、1935年にサンクトペテルブルクのソ連科学アカデミー出版社から《臺灣鄒族語典》(N.A. Nevskij: Materaly po govoram jazyka cou, Trudy Instituta Vostokovedenija. X1. Moskva-Leningrad, 1935) を出版した。これはツォウ語をはじめて専門的に言語学として取り扱ったものである。10年後、ネフスキーはソ連政府に逮捕された(罪名日本のスパイ)。また、高一生も国民政府から1954年に反乱罪で逮捕された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツォウ語」の詳細全文を読む
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