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ツトム・ヤマシタ(''Stomu Yamash'ta''〔Tsutomu Yamashita は欧米人に発音しにくいため、この表記が一般的にされた〕, 1947年3月15日 - )は京都市出身の打楽器奏者、作曲家、キーボーディスト、禅美学者。 本名は山下勉。'Stomu Yamash'ta''〔Tsutomu Yamashita は欧米人に発音しにくいため、この表記が一般的にされた〕, 1947年3月15日 - )は京都市出身の打楽器奏者、作曲家、キーボーディスト、禅美学者。 本名は山下勉。'〔Tsutomu Yamashita は欧米人に発音しにくいため、この表記が一般的にされた〕, 1947年3月15日 - )は京都市出身の打楽器奏者、作曲家、キーボーディスト、禅美学者。 本名は山下勉。 == 来歴 == 5歳よりピアノを始め、8歳より打楽器を始める。学生時代より地元の京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団等に参加した後、1964年、17歳で渡米し、ニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。1967年にボストンのバークリー音楽院に入学。シカゴ室内管弦楽団との共演などを通じてキャリアを積んでいく。小澤征爾指揮、ニューヨーク・フィルの演奏会で武満徹作曲の打楽器協奏曲「カシオペア」のソリストなどを務める。 1970年に渡欧し前衛音楽家として活動を始める。1971年、イギリスにて実験芸術集団レッド・ブッダ・シアターを主宰〔『プロフェッショナル ロック・マシーン』、シンコー、p229、1978年〕。アルバム『ツトム・ヤマシタ』を発表。その後は映画音楽やバレエ音楽も手がける。1973年にはプロデューサー、作曲両部門でグラミー賞にノミネートされる〔。 1976年にアルバム『GO』、アメリカ・ツアーを記録した『GO LIVE』、1977年に『GO TOO』を発表。このプロジェクトにクラウス・シュルツェ、アル・ディ・メオラ、スティーヴ・ウィンウッド等が参加した。 帰国後、舞台創作などマルチ・アーティストとして活動を展開する〔。近年ではサヌカイトによる打楽器を創作し、2005年からサヌカイトを用いた宗教的なアプローチも行っている〔音禅法要実行委員会〕〔産経2015年6月7日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツトム・ヤマシタ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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