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ツレス島 (-とう、クロアチア語:Cres、発音:"Tsres"、 イタリア語 ''Cherso'', ドイツ語: ''Kersch''、 ラテン語:''Crepsa'', ギリシャ語:''Chèrsos'', ''Χερσος'')は、クロアチアの島。ダルマチア北部クヴァルネル湾に浮かぶ島の一つ。プリモリェ=ゴルスキ・コタル郡に属する。クルク島かイストリア半島からのフェリーで行くことができる。 島の面積は405.78平方キロメートルで、ダルマチア諸島最大の島クルク島とほぼ同じ大きさである。人口は3,184人(2001年)。 ツレス島と近くのロシニ島(Lošinj)はかつては一つの島だったが、海峡によって隔てられ、現在はツレスの町オソル(イタリア語名オッサーロ)との間に橋が架かっている。ツレス島には淡水湖ヴラナ湖がある。 ==歴史== ツレス島には旧石器時代から人が住んでいた。後にローマ帝国の支配を受けた。ローマ帝国衰退後、数世紀に渡り東ローマ帝国に支配された。7世紀、クロアチア人がダルマチアの島々へ侵攻したが、彼らは8世紀初頭に島々を手放した。 822年前後にクロアチア=東ローマ間の緊張が高まる中、クロアチアは独立国家をつくった。866年頃、島民は最初のクロアチア=ヴェネツィア共和国の対立に見舞われた。ヴェネツィアは10世紀と11世紀にダルマチアの島々を支配下に置いた。 しかし、クロアチアは島々を取り戻し、その後数世紀に渡り、クロアチア、ハンガリー王国、400年間支配したヴェネツィアと、支配者が変わることになった。ナポレオン・ボナパルトの勝利でヴェネツィア領の島々はオーストリアの領有となり、その後すぐに再びフランス支配へ戻った。 ナポレオン没落後、オーストリアが100年ほどダルマチアの支配者となった。この時代に、オリーブ、セージといった農業生産が島の成功のきっかけとなり、経済が発展した。第一次世界大戦後の1920年、ラパッロ条約でツレス島はイタリア王国領となった。イタリア支配は1947年まで続き、その年にイストリア半島とともにクロアチアへ譲渡された。 イタリアから共産主義体制のクロアチアへ領有が移ったため、多くの住民が島を離れることを余儀なくされ、農業は下り坂になった。このことは、多くの植物の繁茂を引き起こした。最近はかつての島民が戻ってきて、農業と観光の両者の伸びから島の産業は活気づいている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツレス島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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