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ツーカー (Tu-Ka) は、かつて存在した日本の移動体通信事業者であるツーカーセルラーグループ3社およびそれを承継したKDDIが提供していた第2世代移動通信システム (2G) サービスである。東京、東海、関西の三大都市圏を中心に、1.5GHz帯のPDC方式を利用した移動体通信を提供していた。 2006年6月30日をもって新規加入の受付を終了し、同年12月31日の24:00をもって機種変更用端末の販売も終了(持込機種変更は継続)し、2008年3月31日の24:00をもってツーカー電話サービスそのものが終了し、14年の歴史に幕を下ろした。ちなみにツーカーの電話契約数はピーク時で4,018,200契約(2001年6月末〔TCA 事業者別契約数 2001年6月末現在 〕)だった。 == 概要 == 1992年、日産自動車を母体に、第二電電(以下DDI、現・KDDI)および京セラらの共同出資により「株式会社ツーカーセルラー東京」と「株式会社ツーカーセルラー東海」が設立された。ブランド名の「ツーカー」は、「気心の知れた人間関係」を意味する『つぅと言えばかぁ』が戦後に砕けて『ツーカー(―の仲)』という言葉になったものを採り入れたものである。 DDIはDDIセルラーグループで携帯電話事業を営んでいたが、関東・東海甲信越は当時別資本のIDOとのローミングによる協業体制でサービスが提供されており、同地域にDDI直轄の移動体通信事業者が存在しなかったこともあり経営参画していた。東京・東海のシンボルマークはDDIセルラーと同じ六角形マークで「cellular」を「Tu-Ka」に差し替えたものであった。一方、関西地区はDDIセルラーグループの中核会社となる関西セルラー電話(2000年に株式会社エーユーに社名変更し現・KDDI)が存在したことから、日産主体で「株式会社ツーカーホン関西」が設立された。 1994年に日本テレコムが出資の中心だったデジタルホン(その後ジェイフォン、ボーダフォンジャパン、ソフトバンクモバイルを経て現在のソフトバンク)グループと同時に、当初からPDC方式による携帯電話第三グループの通信キャリアとして新規参入した。関東・甲信、東海、関西以外の地区に関しては郵政省(現・総務省)の指導により日産と日本テレコムとの合弁出資でデジタルツーカーを設立し、全国展開を行った。デジタルツーカーのロゴはデジタルホンのDマークの中にツーカーのロゴ(Tu-Ka)が合わさったものであった。この結果、1996年前後の携帯電話の移動体通信事業者(通信キャリア)は東名阪エリアにおいて四社、東名阪以外は三社となった。 開業当初から1998年ごろまでは市場占有率はデジタルホングループと拮抗していた。ツーカーセルラーグループは日産の資本が入っていたことから、日産のディーラーでもツーカー向け携帯電話を扱っていた〔資本撤退後もツーカーのステッカーが店内に貼られている販売店もごく一部に存在するが、携帯電話の販売事業は撤退している。〕。 1998年10月に業界初のプリペイド式携帯電話「プリケー」が、ツーカーホン関西地域を皮切りに市販化した。 1998年後半、設立母体であり大株主であった日産自動車は経営危機状態となり、日産リバイバルプランに基づき非中核事業のリストラを行った。ツーカーセルラーグループ各社はDDIに、合弁企業であったデジタルツーカーはデジタルホンの母体である日本テレコムにそれぞれ株式譲渡した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツーカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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