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ツービート : ミニ英和和英辞書
ツービート[びー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee

ツービート : ウィキペディア日本語版
ツービート[びー]

ツービート(TWO BEAT)は、ビートたけし(本名:北野武)とビートきよし(本名:兼子二郎)の2人による漫才コンビ。1972年結成。きよしはたけしを「相棒(あーいぼう)」と呼び、たけしはきよしを「ビートきよしさん」もしくは「兼子さん」と呼んでいる〔年下だが、きよしの方が芸歴が長い為。〕。
==経歴==

===コンビ結成===
元々、浅草の通称「公園六区」にあったストリップ劇場で、北野武(ビートたけし)は浅草フランス座(現在は演芸場の浅草東洋館)で深見千三郎門下のコメディアンとしてコントの下積み修行を、兼子二郎(ビートきよし)は浅草ロック座で劇場進行の修行をしていた。たけしは当初、同じフランス座の同僚、春木こと愛称ハーキーとコンビを組んでコントを演じたこともあったが、相方の男性が神経性の病気から入院したため、自然消滅(後のビートたけしの楽曲『浅草キッド』はこのハーキーとの時代を歌ったもの。「夢は捨てたと言わないで」のくだりはハーキーが病室で「もう夢は捨てた」と発言したことによる)きよしもレオナルド熊の弟子と漫才コンビを組んで名古屋の大須演芸場に出演することになっていたが、レオナルド熊がその弟子を破門したため、代わりの相方を探していた〔TOKYO FMJFN系『ビートたけしのラジオ黄金時代 街で一番の男・ビートニクラジオ』(ゲスト:ビートキヨシ、1998年4月12日放送分より)〕。
兼子は、以前ストリップの幕間のコントで共演したことがあった北野に新パートナーの提案を持ちかける。ここで、後のツービートの前身となるコンビが結成されることとなる。〔ビートたけし作詞・作曲・歌の歌『浅草キッド』に登場する相棒はきよしではなく、たけしがフランス座時代、一緒に活動していたコントコンビの相方が主人公となっている。テレビドラマ版ではこのあたりはストーリーを簡潔にするために、相方ははじめからきよしであることになっている。〕北野の師、深見千三郎は弟子の漫才への転向を認めず、北野を即刻破門。これにて漫才コンビ結成への障壁が消滅。当初は、きよしがネタを作りボケ、たけしが突っ込むスタイルだったが、コンビは全く評価されない状況が続いた。当時、楽屋内でも師匠と弟子の師弟関係にあたる縦のラインが強い漫才業界の集団で、舞台コント(軽芝居)からの転向組という立場は彼らを浮き上がらせていた。
きよしの「やはり有名な師匠の所に居ないとだめだよ」との発案で松鶴家千代若・千代菊門下に入門し、松鶴家二郎・次郎を名乗って活動を行った。また、きよしがコロムビア・ライトの付き人経験があったことから、空たかし・きよしとして舞台に上がったこともあったが、状況は相変わらずだった(ライトが相方であるコロムビア・トップと絶縁状態にあったため、青空一門ではなく個人の預かりとして芸名が青のない「空」になっている)。芸人社会の顔で人望のあった深見千三郎が一言、「たけしを頼む」と周囲に声をかけたなら事情も変わったとする見方もあるが、深見はたけしを可愛く思いながら、最後まで弟子の漫才転向を醒めた視線で捉えていた。
この八方塞がりの状況で、たけしがきよしに代わって主導権を握ることとなり、コンビ名をツービートと改名〔きよし曰く、この名前に改名する際には別の候補として丸井西武という名前もあったという。『ビートたけしのラジオ黄金時代 街で一番の男・ビートニクラジオ』(TOKYO FMJFN系、ゲスト:ビートキヨシ、1998年4月12日放送分より)〕。余りの受けなさに舞台で性器を露出したり、客を毒舌でいじるなどの追いつめられて行った行動が徐々にスタイルになり、ツービートの原型となったが、決定的だったのは、大阪の新進漫才師・B&B島田洋七との出会いである。後に紳助・竜介も倣う、シンプルで間を減らしたテンポの速い“16ビートの漫才”“客を完全に飲み込み唖然とさせる漫才”を見て衝撃を受ける。ツービートもこれを取り入れ、たけしがひたすら猛烈な勢いでしゃべり倒し、アトランダムにきよしが突っ込む高速漫才へ変貌する。「山形いじめ」のネタは、B&Bの「広島岡山漫才」を真似たもので、こうして開き直ったたけしは、それまでの下ネタはもちろん、差別用語から、放送禁止用語まで、およそ今までの漫才ではタブー視されていたものをあえて取り入れ評判を呼び、まず同業のプロ仲間から評価を上げていった〔自著『浅草キッド』太田出版、1988年、206−208頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツービート」の詳細全文を読む




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