翻訳と辞書
Words near each other
・ ツール・ド・フランス1933
・ ツール・ド・フランス1934
・ ツール・ド・フランス1935
・ ツール・ド・フランス1936
・ ツール・ド・フランス1937
・ ツール・ド・フランス1938
・ ツール・ド・フランス1939
・ ツール・ド・フランス1947
・ ツール・ド・フランス1948
・ ツール・ド・フランス1949
ツール・ド・フランス1950
・ ツール・ド・フランス1951
・ ツール・ド・フランス1952
・ ツール・ド・フランス1953
・ ツール・ド・フランス1954
・ ツール・ド・フランス1955
・ ツール・ド・フランス1956
・ ツール・ド・フランス1957
・ ツール・ド・フランス1958
・ ツール・ド・フランス1959


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ツール・ド・フランス1950 : ミニ英和和英辞書
ツール・ド・フランス1950[れい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ランス : [らんす]
 【名詞】 1. lance 2. (n) lance

ツール・ド・フランス1950 : ウィキペディア日本語版
ツール・ド・フランス1950[れい]
ツール・ド・フランス1950は、ツール・ド・フランスとしては37回目の大会。1950年7月13日から8月7日まで、全22ステージで行われた。

== レース概要 ==
第11ステージ(ポーからサン・ゴダンまで)において、西(フランス)チームのジャン・ロビックが、イタリアチームのエースであるジーノ・バルタリに転倒させられ、この区間を制したバルタリに対して、3分59秒遅れてゴールした。またこのステージ終了後、マイヨ・ジョーヌはイタリアのフィオレンツォ・マーニへと移動。
ところが、翌、第12ステージ開始前より、前日の一件に加え、イタリア人選手のマーニが総合首位ということに対して、多くの観客がイタリアチーム選手に対して怒号と非難を浴びせ続けた。これを受け、イタリアチーム監督のアルフレッド・ビンダは、同ステージ途中でイタリア選手全員をリタイアさせることを決めた。
これにより、第11ステージ終了時点では、首位マーニに対して2分31秒差の2位だった、スイスフェルディ・キュプラーが第12ステージ終了時点でトップに立った。キュプラーはアルプス越えステージにおいて安定した走りを見せた。そして、第20ステージの個人タイムトライアルでは、追いすがるベルギースタン・オッカーを突き放し、見事、スイス国籍選手として初のツール・ド・フランス総合優勝を果たした。
ちなみにロビックは、キュプラーに遅れること59分45秒差の12位で完走した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ツール・ド・フランス1950」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.