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ツール・ド・フランス1962は、ツール・ド・フランスとしては49回目の大会。1962年6月24日から7月15日まで、全22ステージで行われた。今大会は33年ぶりに各選手の所属チーム別対抗戦形式が復活した大会ともなった。 == レース概要 == 第6ステージで15~16人程度の大集団が抜け出し、連覇を狙うジャック・アンクティルはその集団を追撃することができずに第二集団グループどまり。したがってまだまだこれから先は長いとはいえ、総合首位のアルベルトゥス・ヘルダーマンに対して5分14秒差の9位という厳しい位置。得意のタイムトライアルが組まれた第8ステージ後半こそ制したが、まだこの時点でも総合首位のアンドレ・ダリガードとは4分11秒差があった。 しかしピレネー超えの第12ステージにおいて、アンクティルはこのステージを中盤から果敢に牽引したフェデリコ・バーモンテスに最後追いつき大集団ゴールに持ち込んだことにより、このステージで総合首位に立ったトム・シンプソンに遅れること3分20秒差の6位へと順位を上げてきた。 翌、第13ステージは山岳コースにおける個人タイムトラアイル。さすがに山岳タイムトライアルとなるとバーモンテスが強さを発揮し、この区間を制するが、アンクティルもバーモンテスに対して1分28秒遅れで続き、この区間を終えて総合トップに立った、区間2位のヨセフ・プランカールトに対して1分8秒差の4位へと上昇してきた。 アルプスに入ると、従前の総合上位陣が総崩れとなる中、プランカールト、アンクティルの両者が安定した走りを見せ、プランカールトに対する差は1分8秒差のまま、総合2位でアンクティルはアルプスを終える。アルプスを終えた後の第19ステージは個人タイムトライアルだったが、ここでアンクティルは圧倒的な強さを見せる。 68kmを1時間33分35秒で走破して区間優勝を飾ったが、アルプス最終の第18ステージを見事制し、総合3位に浮上してきたレイモン・プリドールはこの区間3位だったにもかかわらず5分1秒も差をつけられ、総合首位のプランカールトは同4位だったが、5分19秒の差をつけられる完敗。ついにアンクティルがここでマイヨを奪回した。あとの平坦ステージでは変動はなく、アンクティルが連覇と3度目の総合優勝を果たした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ツール・ド・フランス1962」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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