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ティエラデントロ国立考古公園〔ユネスコ世界遺産センター監修『ユネスコ世界遺産(13)新指定』(講談社、1998年)およびNPO法人世界遺産アカデミー『世界遺産学検定公式テキストブック〈3〉』(講談社、2006年)における訳。〕は、コロンビアのカウカ県に残る考古遺跡で、先コロンブス期の文化的宝庫として1995年にはユネスコの世界遺産リストに登録された〔http://whc.unesco.org/fr/list/743〕。日本では「ティエラデントロ(の)国立遺跡公園」とも訳される〔日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2010』東京書籍、『21世紀世界遺産の旅』小学館などに見られる訳。〕。 ティエラデントロは地下埋葬所や記念碑的な像が発見された考古遺跡で、考古学的に最も重要なのはセゴビアの丘(''Alto de Segovia'')、小妖精たちの丘(''Alto del Duende'')、サン・アンドレスの丘(''Alto de San Andrés'')、 アボカドの丘(''Alto del Aguacate'')である〔''Le Parc archéologique de Tierradentro: une fenêtre ouverte sur le passé indigène'' 〕。この公園は考古学的な博物館であるとともに、民族学的な博物館であるともいえる。 == 歴史 == 西暦1000年よりも前に、その一帯には農耕民族が暮らしていた。彼らの土器、金銀細工、石像などからは、サン・アグスティンの人々に似た特色を読み取れる。サン・アグスティン文化とティエラデントロ文化は、前者を後者が継承するという形で連続性が存在していたとも言われ、ティエラデントロ文化が存在したのは西暦8世紀から14世紀頃のことであった〔ユネスコ世界遺産センター監修『ユネスコ世界遺産(13)新指定』(講談社、1998年)pp.54-57〕。 それに対して、地下埋葬所はこの地域で例外的なものである。それらは丘の頂上や山の中腹に結集している。 スペイン人たちはこの地を「ティエラデントロ」と名づけた。「中の土地」という意味で、この地が高い山々に囲まれた内陸部にあり、アクセスが困難であることに由来しているが、それと同時に現地民たちがスペイン人たちを頑として領地に入れさせようとしなかったことにも由来している。 考古学者たちは約100の地下埋葬所を発見しており、放射性炭素年代測定法のおかげで西暦600年から900年頃のものと判明している。 先住民たちは近隣との交易によって経済的な余裕を持っていたとされ、墓地遺跡群の豪華さはそれによって裏付けられているとも言われている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ティエラデントロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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