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テオティワカン (、) とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡〔最盛期は200年から550年頃までで、この時期に最大面積23.5平方キロメートル、人口12万5000ないし20万人の大都市となっていた。〕〔増田義郎「先コロンブス期の文化」(増田義郎・山田睦男編『新版世界各国史25 ラテン・アメリカ史Ⅰ』山川出版社 1999年)〕。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。 == 概要 == テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウィトリクエ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。 古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、 社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった〔宗教儀式に用いる土器、黒曜石の用具、ヒスイなどの石細工品などを大量に輸出していた。〕〔。 。紀元前50年にテスココ湖の南方に立地した()が()の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、7世紀頃から急激に衰退し、やがて滅びを迎えた。 テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは12世紀頃にこの地にやってきて、廃墟となっていた都市を発見した、メシカ人(アステカ人)が命名した。アステカ人はテオティワカンを後々まで崇拝の対象とした。 古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「テオティワカン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Teotihuacan 」があります。 スポンサード リンク
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